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幼稚園から高校までずっと自由教育を受けてきた人間のこと。①[幼稚園編]

こんにちは、瑠夏です。
私は幼稚園から高校まで、ずっと「オルタナティブ教育」という一般的な公立の教育とは異なるものを受けて育ちました。
ちょっとづつ流派的なものが異なりますが、全て『自由教育』と呼ばれるものです。
そんな私が、どんな人間なのか、
どんなことを考えて育ったのか、
それらの教育に対してどのように感じているのか、

「自由教育」あるいは「オルタナティブ教育」に関心がある方、または論文や何かの研究対象としてそれらの教育に興味のある方、それからお子さんにどのような教育を受けさせようかと悩んでらっしゃる親御さんに、試作品の「一例」のような存在になり、ご自身でその教育の生んだ人間をみていただければな、と思います。
また、学校選びの参考の基準にもなれる気がするので、マガジンとしてシリーズ化していこうかなあ。

ただ一つだけ!
私はただ「受けてきた側」としての体験談をお伝えします。「受けてきた側」として、この特色の本質はここにあるんじゃないかなあ、などの「憶測」をしています。客観的ではなく、だいぶ主観的です。
「受けてきた側」の「超主観的な感想」だと思って受け取っていただければ幸いです。

オルタナティブ教育とは

オルタナティブ教育というのは、日本語で「代替教育」と訳されます。
私はこの「代替」という言葉があまり好きではないので、「もう一つの教育」という風に捉えています。
簡単にいうと、公立教育とは違う教育で、つまりは大切にするところが異なる、という意味です。

私は長年そんな環境下にいたため、小さい頃からよく感じていたのですが、いわゆる「意識の高い」お母様やお父様は、公立教育を悪だとみなし、「これこそ善だ」というような言動が見受けられることがあります。

子どもながらに、自分以外を”悪”のように見立てている様はあまり好きではなかったので、「代替」という言葉が気に入らないのかもしれません。
私としては、教育とは所詮洗脳だと思っているので、善悪の判断をすべき対象ではそもそもない、というのが今の見解です。

本題に戻りまして、先ほどチラッと触れましたが、オルタナティブ教育とはいくつかの流派的なものが存在します。
ただ、「公立教育とは異なる場所に重きを置いている」というだけなので、いくつあっても不思議じゃないですよね。
そこでここではいくつか代表的なものを紹介します。

・シュタイナー教育
オーストリアの哲学者、ルドルフシュタイナーによって始められた教育(法?)。特徴としては、教科書を使わないことや、芸術を大切にすることが挙げられます。また、人間には7年ごとに節目が存在し、それぞれの時期にあった課題を設定していることも特徴。

・モンテッソーリ教育
イタリアのマリア・モンテッソーリが始めた教育で、様々な能力の身に付けるのに最適な「敏感期」があると考え、知的好奇心が自発的にあらわれた際に「夢中」になれる環境を整えることを大切にする。Amazonなどの超大企業の創業者もこの教育を受けてきたそうです。

・サマーヒルスクール
イギリスのA.S.ニイルが始めた教育法で、「子どもの養育には幸福が最も大切で、子どもの幸福に最も重要なのは自由だ」という考え方。授業の参加についても子どもに選択権があり、学校のルールは教師も生徒も1票ずつの会議で決定される。「世界で一番自由な学校」と呼ばれることもある。

・フレネ教育
フランスのセレスタン・フレネが始めた教育。自由作文を作成し、印刷して教科書にすることで学びを深める。一斉授業ではなく、自分で決めた活動計画表に沿って学ぶ。縦割り。

・新教育
大正デモクラシーの中で、「子どもには子どもの世界がある」という考えのもと、断片的な知識の詰め込みではなく、子どもの感性を大切にするという日本で生まれた教育法。または、教育の転換を図る教育運動。

シュタイナー教育の幼稚園に入園

私はシュタイナー教育の幼稚園に入園しました。
両親は特段教育熱心だったわけではないのですが、当時の選択について、先日母親が「教育で失敗したくなかったから」と言っていました。
なんとなく、自分の受けてきた教育ではだめだ!と思ったのだそうです。

さて、そんなことは露知らず、私は幼稚園生活を楽しみました。
当時の私から見るシュタイナー教育は、とてもナチュラルな感じで、先生も教室も「自然」を大切にしていました。
制服はありましたが、普段は私服で通っていたような、、、?
あまり覚えていません。

・幼稚園での1日 

登園するとすぐに「あそび」の時間があって、私はよくお部屋の中で家族ごっこをしていました。大体、犬役でした。
おもちゃは、木の実とか木の棒とかシルクのカラフルな布とかウォルドルフ人形と呼ばれているお人形でした。
確か、「想像力の限界を作らないため」とかなんとかでのっぺらぼうでしたが、不思議と「怖い」と思ったことはありませんでした。
温かみのある手作りのお人形だからなのかなあ。

「あそび」の時間の後には毎回「お片付け」の時間があって、
みんなでお片付けをします。(当たり前)
私が今でも覚えているほど印象的だったのは、使った布を畳んで元に戻す際に「四角いものを畳む用のお歌」があって、そのお歌を友達や先生と2人で歌いながら畳んでいたことです。

遊びの時間が終わると、お祈りの時間だった気がします。
和になる様に集まって真ん中のテーブルの上にある蝋燭に火をつけて、みんなで一緒にお祈りをします。習ったわけではないのに、先生が毎日唱えるものだから、いつの間にか一緒に言える様になっていました。
正直、意味はちっともわかりませんでしたが、当時の私は「みんなで集まって何かをする」という一体感がたまらなく好きでした。
あ、歌も歌いました。

日替わりで授業がありました。
オイリュトミーと呼ばれる、ダンス的な授業が楽しかったのをよく覚えています。男の子も女の子も先生も、それぞれ優しい色のワンピースの様なものを着て、和になって先生の動きを真似る形で踊ります。(踊りで本当に合っているのか、、、。)
皆で手を繋いだ状態で和になって、くるくる回ったり、歌を歌ったりもした気がします。あれ、それはオイリュトミーの一貫ではないのかな、、、?
記憶が曖昧ですが、これもまた、「みんなと一緒に何かをする」という一体感に心地よさを覚えていた気がします。

それから、「にじみ絵」と呼ばれる水彩画の授業もありました。
年長さんになると、青・赤・黄色の三原色を使える様になります。
年少さんは青だけとかだった気がする。忘れたけど。
「モノ」を書くというよりかは、自分の頭の中のイメージを色に変換してみるとか、今の感情を色に変換して表現してみるとか、そんな感じでした。
年度末には1年間で書いた絵が全部帰ってきて、我が家では母親によって「素敵な絵」が選別され、トイレや廊下に飾られていました。
あるあるなのかなあ。

・雰囲気と特徴とか

教室は温もりのある節目の多い木を柱にも床にも使っていました。天井は大きな布がてんがいの様に備え付けられていて、絵本の中の世界みたいだなあと幼いながらに素敵な教室だと思っていました。布はどれもカラフルでしたが、人工的な色合いは一切なく全て鮮やかな草木染めでした。

入園すると、オートでクラスと自分のマークが決められていて、自分のマークは毎年変わっていきました。靴箱にもロッカーにも、先生が蜜蝋クレヨンで書いた素敵なマークが貼っており、1年間はそのマークが自分のシンボルになります。私は年少さんの頃、葉っぱのマークだったのですが、帽子にもハンカチにも何にでも、名前の代わりに祖母や母が葉っぱの刺繍をして持たせてくれていました。

大きくなってから知ったのですが、シュタイナー的には幼稚園生が「字」に触れるというのはまだ早い、という様な考えがあるそうです。
家庭でも徹底して「字」を覚えさせることはせず、年長さんは卒園前に「木」と「林」と「森」だけ習った気がしますが、絵具で書くので記号を書いている様な気分でした。それでも、今か今かと待ち望んでいたこともあり、最高に幸せな瞬間だったのを覚えています。
後に小学校で字を習ったときの感動は、クラスの誰よりも大きかった自信があります。

年中と年長は縦割りで同じクラスに2年間所属します。
年長さんは特別で、卒園を前にして手織りの織り機をゲットできます。
コツコツと毛糸を織り機の凧糸にくぐらせて、自分だけのフェルト生地的なものが出来上がると、卒園前に先生がポシェットに仕立ててくれて、最高の宝物になりました。

楽器はなぜかレミソラシレミしかない鉄琴があり、歌の授業で使ったりしていた気がします。なぜだか、幼稚園で習う歌はみんなその音階で演奏ができるんです。謎でした。

・お昼ご飯

お昼ご飯は、毎日お弁当です。
ものすごくマイナーなシュタイナー教育お弁当あるあるを言わせてください。

・木のお弁当箱(大体楕円)
・玄米率高め
・小松菜の和物的なやつマスト
・卵焼き
・季節の果物入りがち
・水筒の中身は三年番茶

です。なんとなく雰囲気が伝わるでしょ?
みんなでお祈りをしてから頂いていました。内容は、雨と土のお恵みサンキューみたいな感じだったと思います。

・お残り

私は大嫌いでしたが、月に何度かどうしても親や祖母が時間通りにお迎えに来られないことがあり、そんな日はおやつ(自然系のかりんとうとか)を持たされて、お残りをしなければならない日がありました。
先生は本を読んでくれたり、お菓子を準備してくれていたりしたけれど、私はなんか大嫌いでした。

・行事とか

運動会や餅つき大会、カレー作りの行事などがあった気がします。
私にとって最も印象深い行事は、動物園が幼稚園に来たことです。私は巳年なのですが、それだけの理由で蛇を首に巻いた記憶があります。
ある日登園すると、お外にポニーやウサギなどの触れ合い易い動物たちがたくさんいて、その日はめちゃくちゃ楽しかったなあ!と家で騒いでいた気がします。

一年に何度か授業参観日があって、その日は決まって野菜スティックが保護者に配られていたのですが、大根スティックがめちゃくちゃ辛かったのを覚えています。

遠足と言っていいのかわかりませんが、普段の授業時間の中で近所の河原に外遊びをしに行くことはありました。

18歳の今の私の感想

私は卒園してから10年以上経ちましたが、この幼稚園に入れてもらえてよかったなあと思う点がいくつかあります。
一番大きいのは、強制的に「何かを教えられる」という経験をせずに小学生になれたことです。逆に閉ざされていたからこそ、「知りたい」「学びたい」という知的好奇心がマックスになった状態で1年生になったので、勉強本来の「楽しさ」に最もナチュラルな形で出会えたのではないでしょうか。
そのおかげなのか、今まで一度も勉強に対して苦手意識を持ったことがなかっただけでなく、「趣味の一つである」という認識を持って成長しました。

未だに詳しくは知らないのですが、シュタイナー教育では子どもに「イメージを断定されるモノ」との接触をできる限り抑えます。私は勝手に想像力の成長を促すためなのではないかなあと思っていますが、テレビを見せることや、キャラクターのアイテムを与えることなど、極限までに具現化されており、それ以上を想像するのが困難なものは良くないと考えられています。
次回書くつもりですが、私は小学校で「詩」に出会い割と褒められるのですが、先生方に「想像力」という言葉で褒めて頂いた記憶があり、もしかしたらこの幼稚園での方針の特徴なのかなあ、とか思ったり思わなかったり。

それから、私は3年間で一度も先生に怒られた記憶がありません。「子ども」として育てられてきた私に”自分”という意識(自我)が芽生える期間に、それを否定されなかったのは人格形成の面において非常によかったことの様に感じています。
実質的には家族以外に初めて触れ合う「大人」が、どうやら「自分」(自我)を認知してくれている、という経験は大切だったんじゃないかなあ。

反対に、シュタイナー教育は子どもを「子どもらしく」スクスクと育てる、という目標達成のために家庭内での育て方についても言及します。先に挙げた様に「テレビを見せない」だったり「キャラものは買わない」だったり、もしかすると食事についても言及していたのかもしれません。
そういった”制限ちっく”なモノたちの本質を理解し、「目標達成のための手段」というふうに認知していれば、あまり気にならないのではないかなと思いますが、「形」だけに目がいってしまうと窮屈な教育の様に感じる気がします。

実際に、当時の私は「私は自分の子どもにはピンクのスカートを買ってあげる」と心に決めていました。(派手な色も脳や感性への刺激が強いと思われているっぽい)
当たり前ですが、子どもの私には自分の日常生活を”教育を受けている”という視点で見られなかったので、「してはいけない」ことがたくさんあり、少し窮屈に感じていました。

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まとめと次回予告**

こんな感じで幼稚園の話は切り上げようと思います。
記憶が曖昧なこともあり、あまり参考にならないかもしれませんが、どうぞご了承ください。
このシリーズは多くの方に読んでいただけたらなあ、と思うのでマガジンとしてまとめるつもりです。
もし、こんな話が聞きたい!などのご意見があればコメント等(ツイッターでメンションを飛ばして頂くのも大歓迎です)を絶賛募集いたします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


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