見出し画像

『少雨荘交游録』斎藤昌三の中の柳田国男

 古書の研究家・蒐集家である斎藤昌三が自身の交流を回想した『少雨荘交游録』(梅田書房, 1948年)には様々な人物が登場するが、その中のひとりに柳田国男がいる。先日、この回想が非常におもしろいので既出かもしれないが以下に引用してみたい。

柳田國男氏。 先生が未だに朝日新聞に在社の頃だつたと思ふ。浴衣がけで訪問したら、丁度中國から来朝中の民俗学者の客もあつて、一緒に有楽町の花茶屋で御馳走になつたが浴衣がけの上京を此の時ほど恥かしく思つたことは無かつた。
 赤坂の三河屋だつたかで、死んだ政界の大御所小泉三申かの会に招待されて、先生と隣あひになつたが、先生も中々の酒豪であることが判つた。その時謹厳な先生から幼年時代のセクスの話を承つたこともあつた。
 又その時、先生の序文集『退読書歴』を出したいが、餘り売れるものではないから他ではとにかく、君の所なら向くかもしれないがとの話から、見返しは映丘画伯、題箋は静雄令兄といふ、兄弟愛のこもつた、先生のものとしては凝つたものを成本したことがある。
 学問的には相当気むづかし屋のやうに噂される先生だが、一面には非常にクダケた面白い先生だと、僕は勝手にきめて居る。

上記の引用文中に登場する「映丘」は日本画家の松岡映丘、「静雄」は海軍軍人で南島の言語を研究していた松岡静雄で両者とも柳田の弟である。小泉三申は政治家、ジャーナリスト、歴史著述などで活躍した人物である。

 斎藤によって語られている柳田の印象は私たちがよく耳にする厳格な印象とは対照的であるのがおもしろい。柳田にもユーモラスな一面もあったようだ。もっとも、この交流は斎藤だからこそ生まれたのかもしれないが。

 余談だが、『小雨荘交游録』は斎藤の手書きであるため読んでいてなかなか味のある本だ。この本の中には、柳田との交流以外にもおもしろいエピソードがあるので機会があったら取り上げてみたい。

よろしければサポートをよろしくお願いいたします。サポートは、研究や調査を進める際に必要な資料、書籍、論文の購入費用にさせていただきます。