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鶴見俊輔『日本の地下水―ちいさなメディアから』についてのメモ⑩―途中で抜けるを許容する態度

 鶴見俊輔『日本の地下水―ちいさなメディアから』(編集グループSURE、2022年)に紹介されている雑誌のひとつに『道芝・十周年記念号』(1974年)がある。鶴見の紹介によれば、この雑誌は「武田というところに住む年輩の主婦が、昭和初年のこの土地の地図をはじめにおいて、その土地でおこったことを思い出すままに書きのこしたもの」で本の装丁にもこだわっており、「今日の出版社ではとうていだすことのできない、念いりの和とじの大冊」であるという。この本づくりについては、以下のように引用されている。

さて、今、一枚一枚紙を折っているところであるが、まだ表紙をどうするかきまっていない。とじる方法もきまっていない。畳屋から糸と針を分けてもらおうかと、誰かがいうと『ああそれは名案だ』。穴は手廻し式ドリルを持ちこんで試したが大工さんから電気ドリルを借りた方がいいということになった。/糸は畳屋よりも大工用のミツイト買った方がよいだろう。表紙の用紙は壁紙の余りがあるから、あれを使おうか、薄いから二枚はりつけようか。カッターも必要だな、板も必要だな、と、まあ、こんなさわぎで時間がどんどん後へ行く。板は私が持ってくる。カッターは私がみつけてくる。電気ドリルを借りてくる交渉は私がやる。ミツイトは私が買う・・・・と、それぞれが申し出て、どうやらこうやら本が出来そうな気配となった(後略)

鶴見のこの雑誌の紹介した部分で興味深い箇所を以下に引用してみたい。

十年が経った。少しは進歩があってもよさそうなものに相も変らず時間にルーズなのがこの会の特徴である。/集会も半ばを過ぎた頃『ヨイコラショッ』とかけ声をしながら上ってくる人がいる。/『ちょっくら、田の草取ってきたの』ナールホド・ナルホド。/夜の集まりでは『残業でやっと帰ってきた主人にご飯たべさせてたのよ』ナールホド、ナルホド。来るの云ってたのにどうしたのかしらねェ・・・・というと影がさし『お茶菓子作りしてたのよ』。お重箱のフタをとると湯気が立つ。ナールホド、ナルホド。/みんなそれぞれ尤もな理由がある。ナールホド、ナルホドと感心するばかり。時間を守れの号令なんかかけたって無駄なのよ。(後略)

『道芝』は「時間にルーズなのがこの会の特徴である」と述べられているが、あつまりの途中で抜ける人、来る人がいることを許容する雰囲気があることがわかる。サークルや集まりは最初から最後までその場に居なければならないという規則はないが、私はそのように考えてしまうことがある。この考えとは対照的なゆるさが『道芝』にはある。

 ここで思い出したのは、『鶴見俊輔集』(筑摩書房、1991年)の月報で加藤典洋が紹介していた鶴見のあるエピソードである。加藤によれば、鶴見はある集まりに参加していたが、家事があるからと言って途中でその集まりから抜けたという。鶴見のようなことが可能になるためには、サークルの活動より自分の生活や日常を優先することを許容するというサークル側の態度も必要であろう。鶴見は『道芝』のゆるさの中に人びとの日常生活を重んじるという考えを見出したのだと私には思われる。

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