鶴見俊輔『日本の地下水―ちいさなメディアから』についてのメモ⑩―途中で抜けるを許容する態度
鶴見俊輔『日本の地下水―ちいさなメディアから』(編集グループSURE、2022年)に紹介されている雑誌のひとつに『道芝・十周年記念号』(1974年)がある。鶴見の紹介によれば、この雑誌は「武田というところに住む年輩の主婦が、昭和初年のこの土地の地図をはじめにおいて、その土地でおこったことを思い出すままに書きのこしたもの」で本の装丁にもこだわっており、「今日の出版社ではとうていだすことのできない、念いりの和とじの大冊」であるという。この本づくりについては、以下のように引用されている。
鶴見のこの雑誌の紹介した部分で興味深い箇所を以下に引用してみたい。
『道芝』は「時間にルーズなのがこの会の特徴である」と述べられているが、あつまりの途中で抜ける人、来る人がいることを許容する雰囲気があることがわかる。サークルや集まりは最初から最後までその場に居なければならないという規則はないが、私はそのように考えてしまうことがある。この考えとは対照的なゆるさが『道芝』にはある。
ここで思い出したのは、『鶴見俊輔集』(筑摩書房、1991年)の月報で加藤典洋が紹介していた鶴見のあるエピソードである。加藤によれば、鶴見はある集まりに参加していたが、家事があるからと言って途中でその集まりから抜けたという。鶴見のようなことが可能になるためには、サークルの活動より自分の生活や日常を優先することを許容するというサークル側の態度も必要であろう。鶴見は『道芝』のゆるさの中に人びとの日常生活を重んじるという考えを見出したのだと私には思われる。
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