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澤田四郎作の日記に登場する気になる謎の人物―澤田四郎作の日記(大正15年)を読む②

 大正15年10月から昭和2年4月までの澤田四郎作の『日誌』が昨年公開されたことは先日投稿した以下の記事で紹介した。著名人の日記を読んでいて常に感じるのは、その人物と交流のあった有名な人物が登場する一方詳細が分からない謎の人物も多く登場する。私は前者だけでなく後者も気になり、つい調べてしまうことがある。謎の人物には私が知らなかっただけの人物もいれば、よく分からない人物もいる。澤田の大正15年10月から昭和2年4月までの『日誌』も例外でなく、よく分からない人物が多く登場する。その中から2名を紹介していきたい。

 1人目は『日誌』で澤田が11月17日に書簡を送っている金田勝重なる人物である。ウェブで検索してもまったく情報がでてこないので、最近謎の人物が登場したらとりあえず調べるようにしている『昭和前期蒐書家リスト』(トム・リバーフィールド編, 2019年)で調べてみると、澤田と交流のあった人物と同じ人物か不明だが金田勝重という人物が確認できた。このリストによると、金田は『愛書家名簿(昭和16年度)』雑誌愛好会編(雑誌愛好会, 1941年)に掲載されている。住所は「山梨県甲府市穴切町474」であり、金田が山梨県に在住していたことが分かる。このリストの特徴のひとつは、各人物の関心が「蒐集分野」という形で記載されていることだが、金田の蒐集分野は空欄であった。繰り返しになるが、このリストに載っている「金田勝重」が澤田と交流のあった人物と同一人物かは不明である。澤田と金田の交流の詳細は不明であるが、澤田は出版しなかったものの『山梨県東南部道祖神見学日記』を書いており、この本は澤田の年譜(注1)によると澤田文庫に所蔵されている。ここから澤田が山梨県の道祖神を調査していたことが、分かるがおそらく金田とはこの調査の中で交流があったのではないかと推測される。

 2人目は『日誌』で澤田が11月29日に「岩代国信夫郡佐倉の豊田秀雄氏より、グシにしばりつける陽物の実物寄贈さる。」と書かれている豊田秀雄である。これ以外にも『日誌』では、澤田と豊田の間で書簡のやり取りがあったことが確認できる。陽物はいわゆる「男根」のことで、豊田が澤田と同じく性に関する民俗に関心のあった人物で、岩代国とあることから福島県在住であったことが分かる。豊田は先ほど引用した『昭和前期蒐書家リスト』にも名前が確認できなかった。澤田は柳田国男と交流が始まり民俗学の研究をはじめる以前から性に関する民俗に関心を持っていたため、以前から交流があったのだろうか。

 以上、特に私が気になった人物を取り上げたが澤田の『日誌』には他にも謎の人物が登場するので興味はつきない。

(注1)澤田の年譜は以下のウェブより閲覧できる。


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