見出し画像

宮崎県の民俗学雑誌『日向郷土志資料』の出版を支えた文華堂

 『日向郷土志資料』は日野巌が中心となって発行されていた宮崎県の民俗学、郷土研究関連の雑誌であるが、この雑誌の目録は以下の宮崎民俗学会のWebページで紹介されている。

上記のWebページによると、『日向郷土志資料』の最終巻には「小倉文華堂主人が経済的にも精神的にも八年余の長い間「日向」を育んで下さったことを読者とともに感謝せねばならない」と「小倉文華堂主人」に対して大きな感謝が述べられている。『日本出版大観』(出版タイムス社、1931年)で調べてみると、小倉文華堂主人に関しては以下のように紹介されている。

文華堂 小倉栄嗣氏 明治三五年六月十日生 宮崎市橘通三丁目 君は福岡県浅倉郡志津村の出身、十五歳の時金文堂福岡支店に入り九ヶ年間の勤続修業を終て大正十四年当市上之町に於て本店を創立し新刊書籍雑誌の販売を開業し昭和二年現在の見事な店舗に転じた。而して同年より中等教科書の販売にも進出して業績いよいよ顕著なるものがあり、県下に於ける最も有数なる小売書店である。

小倉文華堂主人は小倉栄嗣という人物であることが分かった。上記に登場する金文堂は以下の記事でも紹介したように当時九州にあった有数の書店で菊竹嘉市によって経営されていた。文華堂をはじめた小倉も金文堂で勤務して独立したようである。金文堂で10年勤続した者が独立して新たに書店をはじめた場合、書店名に金の字が付けられるようだが、小倉の場合は勤務年数が少し足りなかったのだろうか。書店名に金の字がない。上記の記事によると、『日向郷土志資料』は1931年に創刊したが、小倉は当時29歳であった。若くして民俗学研究の雑誌を支援していたことが分かる。

 興味深いのは上記の記事で紹介した鹿児島県の金海堂書店と同様に文華堂が宮崎県の民俗学、郷土研究の雑誌や本の発行に積極的に関わっていたことである。以下の記事で雑誌『民俗藝術』の出版を支援していた地平社書房が出版事業を止めた後長続きしなかったことを紹介したように、初期の民俗学の雑誌は特定の個人もしくは出版社の熱意に支えられていることが多い。特に地域ではその傾向が強く、支援してくれる出版社や書店にめぐまれるということが重要であったのかもしれない。

(2022/1/15追記)WATANABEさんのnoteで『日向郷土志資料』と文華堂の発売図書目録が公開された。あたらめて『日向郷土志資料』の目録を確認すると、九州を超えて全国から投稿者があったことが分かるだろう。また、文華堂の発売図書目録からはこの書店が郷土研究、民俗学の普及に力をいれていたかということが分かる。個人的に地域の書店の図書目録の新しい見方を学ぶことができた。




よろしければサポートをよろしくお願いいたします。サポートは、研究や調査を進める際に必要な資料、書籍、論文の購入費用にさせていただきます。