見出し画像

南方熊楠詣を行っていた?謎の男・平澤哲雄

 拙noteで何度も紹介している謎の男・平澤哲雄だが、以下のWebページで紹介されているように1922年に南方熊楠が植物研究所の資金援助を依頼するために上京したタイミングで熊楠を訪問している。

上記の記事によれば、平澤が熊楠を訪問したのは5月15日が初めてであるというが、平澤は何度か熊楠を訪問していたようである。『熊楠研究』第17号(南方熊楠研究会編、2023年)の土永知子「南方熊楠標本資料 南方熊楠の日光採集標本関連資料」(P259)には、平澤に関して以下のように述べられている。おそらく熊楠の日記の未出版部分からの引用と推測される。

東京に帰った翌日の7月21日、高田屋に夕方上松氏(上松蓊)がやってきて、朝熊楠が電話で招いた平澤哲雄氏と神谷文太氏と話をしたのち、神谷氏がアセチレン燈の三菱新提燈第二五六号と燃料のカーバイド一貫目を購入して高田屋へ届けさせている。(中略)平澤氏が試しに点灯したところ中々明るく、熊楠はご機嫌で日本酒を飲んでいる。つまり、東京へ戻った目的の一つは、日光の旅館では夜間に絵を描く時に手元が暗すぎるので、なんとかしたいということもあったのだろう。おそらく上松氏が平澤氏と神谷氏に夜、絵が描けるほど明るくしたいという相談をして、アセチレン燈を購入することになったと思われる。

平澤は神谷文太(少し調べたが、どのような人物かよく分からなかった。)という人物と熊楠を訪問してランプを手渡している。平澤はこのように何度も熊楠のことを訪問していたと思われる。平澤は他にどのような用件で熊楠のことを訪問していたのだろうか。

よろしければサポートをよろしくお願いいたします。サポートは、研究や調査を進める際に必要な資料、書籍、論文の購入費用にさせていただきます。