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尾佐竹猛についての斎藤昌三の回想

 最近、尾佐竹猛が気になっている。尾佐竹は判事をつとめながら法制史、政治史を研究していた人物であるが、研究範囲が幅広く明治文化、賭博や刑罰の歴史、性に関するものを含む民俗学にも関心があった。その関心の広さから尾佐竹は様々な人物と交流があったが、その中の1人に尾佐竹も所属していた明治文化研究会に参加していた斎藤昌三がいる。斎藤昌三『少雨荘交游録』(梅田書房、1948年)に尾佐竹に関する斎藤の回想が載っているので、以下に引用してみたい。なお、この本は国会図書館デジコレ(個人配信)で閲覧できる。

尾佐竹猛博士。 吉野博士の人情味豊かに比較して、尾佐竹博士は久しい検事生活が身についたものか、兎角冷やかに感ずる態度があった。文化研究会の二代目会長となっても、会に潤いのなかったのは博士の性格の反影であろう。/博士は明治文献の蒐集家として第一人者であったが、その資料を鳥有に帰したのは国家的の損失で、博士の落胆も当然である。それも夫人を失って間もない火炎であり。それやこれやで博士も亦病死して了った。/博士は『末摘花』の如き軟派の研究も深かったが、賭博やスリの研究に於ても一権威であり、その方面の著書もある。目下全集の計画が進められている。(筆者により現代仮名遣いにあらためて、必要に応じで読みやすいように句読点を追加した。)

 尾佐竹は真面目な性格であったと回想されている。性に関する民俗、賭博、スリの研究も真面目に取り組んでいたのだろう。斎藤は趣味に研究という対象に真面目に向き合う態度が伴う「趣味的研究」の立場(注1)であったが、尾佐竹もこの考えを共有していたように思われる。

(注1)「趣味的研究」の考えは当時の趣味界で広く共有されており、たとえば、私が総目次を作成して以下に投稿した加賀紫水の土俗趣味誌『土の香』にも共有されていた。

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