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雑誌『郷土風景』に投稿していた久米龍川の出身地

 先日投稿した以下の記事で民俗学関連の雑誌『郷土風景』に関して紹介したが、この雑誌の創刊号の投稿者のひとりに久米龍川という人物がいる。この人物は『郷土風景』の発行元である郷土風景社と関係があったらしく、神保町のオタさんの記事によれば後に郷土風景社の主宰になっている。いつから久米が主宰となったかは私の手元にある雑誌を詳しく調べれば分かると思うので、後日紹介したい。

いろいろ調べているうちに久米に何冊かの著書があることが分かった。そのひとつに『岡山県人物縦横』(岡山県人社, 1931年)という本がある。以下に第1巻の奥付や表紙を紹介したい。

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この本の「はしがき」に、「我が備作三州人」とあり、備作とは備前・備中・美作国のことなので、久米は現在の岡山県の出身であったことが分かる。また、「殊に郷土雑誌『汎岡山』記者といふ激務の傍ら」とある。『汎岡山』という雑誌の詳細は分からないが、岡山県立図書館の所蔵している郷土雑誌リストの中に確認できたので、岡山の歴史の研究に関する雑誌であろう。この雑誌は汎岡山社が発行しており、このリストによると1926年から長きにわたり発行されていたようだ。ここから久米が汎岡山社で働いていたことが分かる。

 興味深いことに、奥付から『岡山県人物縦横』の発行者も『郷土風景』と同じ谷川要史であることが分かる。発行所の岡山県人社の住所も「東京市外大森不入斗一四九〇」となっており、以下の記事で紹介した郷土風景社の住所「東京府大森不入斗一四九〇番地」とほぼ同じである。両者は谷川の自宅が発行所になっているのではないかと考えられる。『郷土史家名簿』(日本経済史研究所, 1934年)では、谷川は東京在住になっているが、久米と同じく岡山県の出身なのだろうか。

 余談だが、激務の傍ら別の研究、執筆活動を行なっていたという久米の「はしがき」は、この記事を深夜や労働の間に書いている私には共感できるものがある。久米も広い意味で在野の研究者とも言えるだろう。

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