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「日本の思想」丸山眞男のメモ

 先日開催した『日本の思想』丸山眞男の「日本の思想」の章の読書会で使用した資料を公開する。「日本の思想」の理解を深めるの少しでも役に立てば幸いである。

<読書会資料>

1. 『日本の思想』丸山眞男について
1-1. 取り上げたきっかけ
・今まで鶴見俊輔を読んできたので、丸山眞男を本格的に取り上げる前の導入のつもりで軽く取り上げたかったが、そう簡単にはいかなかった。。。読むのは数年ぶりだが、非常に難しい。1回で取り上げたかったが、論点が多いので全3回を考えている。
→本日は「Ⅰ日本の思想」を取り上げる。

※丸山眞男を本格的に読むのは初めてです。

1-2. 丸山眞男について
1914年新聞記者である丸山幹治のもとに誕生。1921年東京(山の手/下町の文化が混ざっている地域)へ移住して1923年に関東大震災を経験。(「戦争よりも強烈な震災体験」(「普遍的原理の立場」丸山眞男・鶴見俊輔『丸山眞男座談7』))1931年に第一高等学校文化乙類に入学。(ただし、一度中学4年時に入試に失敗)1933年に唯物論研究会の講演会に参加して検挙・拘留される。1934年に東京帝国大学法学部政治学科入学、1935年助手、1940年助教授。1944年に結婚、朝鮮平壌に応召。1945年に広島市宇品の陸軍船舶司令部に再応召、広島で被爆。戦後に青年文化会議、庶民大学三島教室。1949年に平和問題談話会の設立に参加。1950年から1971年まで東京大学教授。(最後は辞職)1996年8月15日に死去。

※丸山幹治のキャリアのスタートは陸羯南の新聞『日本』。白虹事件で『大阪朝日新聞』を辞めて東京に移った。思想的には自由主義者。
※叔父に政教社の社主であった井上亀六あり。
※新聞記者・長谷川如是閑からの大きく影響を受けている。

※丸山の文化資本の図式化だが、上記を踏まえると少し当てはまらないかもしれない。ヨーロッパ系統の知の基盤がある一方で初期の国粋主義的な立場(現在で言うところの保守的な人々)の人物たちと関わりながら育った。ただし、大正時代には現在で意識されているような右派(保守)/左派(リベラル)のような立場の違いが明確でなかったことに注意。

正系・・・丸山眞男(上述の通り完全に山の手とは言えないだろう。)
傍系・・・鶴見俊輔
正系的傍系・・・清水幾太郎
傍系的傍系・・・吉本隆明

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(図は「メディア知識人を典型とする煽動行為者の範囲から見る人間類型 : 承認欲求と界の戦略との関係」松井勇起(『図書館情報メディア研究』16(1)より引用)

参考:『丸山眞男―リベラリストの肖像』苅部直(岩波新書、2006年)、『丸山眞男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』竹内洋(中公新書、2005年)

2.1 『日本の思想』について
2-1. 「Ⅰ 日本の思想」が書かれた時代
・初出は1957年だが、当時の問題意識の例。
・日本の歴史・伝統をどのように評価するか?(本当に遅れたものなのか?)という問題
・2つの立場
肯定的:『雑種文化 日本の小さな希望』加藤周一、「日本主義について」(実感主義、折衷主義)鶴見俊輔、「日本のナショナリズム」吉本隆明(知識人によるナショナリズム論の批判+大衆のナショナリズムと何か?という問題意識)、花田清輝(「否定的媒介」)

否定的:丸山眞男、共同研究「転向」鶴見俊輔、藤田省三など
→実生活を離れた立場(理論や理念)から物事を考える知識人の実生活への失墜
 理論や理念の吸収の不徹底と内省の不足、人びとからの分離

※政治の逆コースと論壇の逆コース(「「雑種文化論」の思想 : 加藤周一の描いた日本の道筋」久保雄太郎『年報日本思想史18』、2019年)

※論壇の逆コースと人びとの思想・大衆文化への関心の関連(例:「国民文化論」竹内好・鶴見俊輔)

※鶴見俊輔の実感主義と折衷主義を日本文化の中に見出している。
実感主義の系譜・・・本居宣長、私小説、生活綴り方、柳田国男など
折衷主義・・・国家権力の動きに対して抵抗する形の折衷主義。社会運動を念頭に於いている。

ただし、実感主義と折衷主義には戦争へと至った負の側面もあるので、良い部分/悪い部分の仕分けが必要であるとしている。(「日本主義について」)

・理論信仰と実感信仰の問題(思想方法の問題)
→丸山の問題提起がきっかけで起こった実感論争
→「実感」という言葉によって何が表現されているかという議論、大衆社会へと転換していく際の現実認識の方法(「一九五〇年代後半における「実感」論争の位置 : 橋川文三の議論を中心に」飛矢崎貴規 文学研究論集 (45)、2016年)

・丸山の『日本の思想』以前に断片的に展開されていた問題意識をまとめた論文。思想史研究と情況批評の交点にあたる論文。近代の問題から近代以前を含めた問題意識の拡張。

2-2. 内容
P3 日本精神史の不在
⇔ヨーロッパの精神史
・丸山の想定しているヨーロッパの精神史例
合理主義的実証主義に基づく市民社会、自由な主体、経済→非合理的主義・神秘主義なファシズム、独占資本、帝国主義
「(前略)社会の運動の歴史そのものが継続的な潮流をなし、それから思惟の諸体系が浮かび上がりそれを通じて諸体系が相互に関連する」
→同時代のできごとの中に共通する思想・思考方法を取り出してそこから現在・歴史を検討することであると思われる。(「政治学における国家の概念」)

(前略)理論も歴史も、社会的現実の学問的な再構成だという意味では根本的には同じなので、ただその再構成の仕方がちがうんだ。歴史の方は現実を不断の発展と変化の相において捉えて行くのだが、理論は同じ現実の不断の流れをある時点においていわば人為的に中断して、現実の断面構造とそれを構成する諸契機の相互的な関連を法則的に認識しようとするのだ。(後略)(「歴史と伝記」)
 →理論を万能だと考えていたわけではなく。安易な適応には慎重。吉本隆明が丸山眞男論で指摘するように大衆をみていなかったかもしれないが、現実をみていなかったわけではない。

P6 雑然性を批判。(最先端と前近代性が混在)構造化されない構造を把握すること。
→丸山の問題関心が移動している。日本の前近代の批判、ヨーロッパ思想は吸収可能という立場からヨーロッパ思想の吸収は難しい、なぜ難しいのか?という問題意識へ(『戦後「社会科学」の思想 丸山眞男から新保守主義まで』森政稔(NHKブックス、2020年))
→ヨーロッパの達成を普遍的とみる立場(「超国家主義の論理と心理」の追記)
→日本の歴史の中に近代への可能性を検討する研究(例:陸羯南のナショナリズム、福沢諭吉)
→日本の前近代性の指摘から日本の思考の構造(思惟方法)の研究へ(古層への問題意識)(森政稔)
→近代の問題としての指摘。(「麻生義輝「近世日本哲学史」を読む」)

P6 思想との対話・対決

・普遍的な理論や理想の正統/異端をめぐる争いを想定。オーソドックス(O正統)をめぐる争い。(O正統・・・定義や思想をめぐる、L正統・・・政治団体への服従を調達)(『自由について 七つの問答』丸山眞男(編集グループ<SURE>、2005年))

・前提に現実から離れた(普遍的な)理論や理想を持ち行動する主体的な人々の像が前提に
あると思われる。

P9 自己を外つまり国際社会に開くと同時に、国際社会に対して自己を国=統一国家として画するという両面性
→政治的な自由を持つ個人とそれを前提とした国家(≒福沢諭吉、陸羯南)

P12 知識の輸入態度・衣替えのはやさ
→「転向」の問題、当時の知識人批判(鶴見俊輔、吉本隆明)
→鶴見は事例の記録(批判もしたが)、吉本は転向者の厳しい批判、丸山はパターンの研究

P14 奇妙な予定調和 最新の思想のはずが、あたかも昔からあるように
→折衷主義への批判⇔鶴見俊輔
※思想=抽象・普遍的なもの、純粋であるものという丸山の考え
P16 ニーチェ→高山樗牛を想定していると思われる(ニーチェを紹介+国家主義)

P17 「伝統的」実感⇔理論との対比
→自然/(個人の)作為、前近代/近代、実感/理論、
→前者に失墜しないようにすればどうすればよいかという問題。
 例:「「鞍馬天狗」の進化」鶴見俊輔 
現在の鞍馬天狗は超人主義でもなく凡人主義でもない。人びとの中にいながらその中に埋没しない人物
→丸山は後者を追求していくことで失墜しないようにしようとしたと思われる。
→1930年代のマルクス主義者の転向という課題。しかし、人びとが脱落しているという批判も(吉本隆明)

<参考図>

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※「大衆の原像」は大衆の中に入るという実践でなく、大衆の原像を思想の中に取り込むという思想上の問題。

(前略)何が価値かっていう場合に、全部ひっくり返せばいいじゃないかって考えたんです。人々は偉大な思想家であるとか、偉大な政治家であるとか、偉大な宗教者だとか、そんなことを言っている奴っていうのは、一番駄目な奴だって考えればいいじゃないかということです。(中略)自分の生活のところで具体的に目に見える、当面している、そういう問題ならば、或いは自分の家族・兄弟ということならば、割合いろんなことを考えて家の親たちはどうしたらいいかとか、いろんな考えたりするけどね、あんまりベトナム戦争はどうだったとか、そういうことはあんまり考えない様な(中略)あんまり遠くの方にあることに、起こったことには考えないという、そういう生き方をしている奴が一番価値ある生き方なんじゃないかというふうに考えた訳なんです。(後略)「宗教と自立」吉本隆明

P20 イデオロギー暴露
本居宣長だけでなく、福沢諭吉の思想の「機能性」に着目して儒教を批判「福沢諭吉の儒教批判」
→中身を批判しない。

P20 雑然性
現在の問題でもある(「ファシズムの現代的状況」)が、繰り返されている問題
→日本だからこそ強化された問題

P23 新しい思想=時系列が新しいという理解
P31 国体の問題
→その中で「思想の自由」を享受していた古い世代にももともとない。
 (旧世代の文学関係者、オールドリベラリストへの批判)
→特に私小説家を念頭に置いた批判。(例:「明治時代の思想」)

P33 無限包容性・・・古くからあるパターンが最新の思想に≒ファシズム
※丸山は民主主義の中にファシズムの可能性を見出していた(「ファシズムの現代的状況」)

P35 転向の問題を近代特有の問題としない。
P39 無責任と無限責任
P42 フィクションとその取扱い
→フィクション(制度、理論、抽象的な思想)は現実との照応・対立が常に存在して適応には一定の制約がある。(簡単に道具的には扱えない)
→フィクションを自覚すること、持つことが近代的な市民の条件

P48 右翼ナショナリストも排斥された→たとえば、北一輝、昭和維新

P51 農村の散発的な抵抗→たとえば、秩父事件、八王子の困民党
フィクションなき抵抗への批判⇔「大衆の幻像」吉本隆明、自由民権運動の評価

P53 実感信仰
合理的思考、法則的思考への反発

P55 2つの実感
素朴な実感と自覚的に絶対化した実感(後者の例は小林秀雄)(「一九五〇年代後半における「実感」論争の位置 : 橋川文三の議論を中心に」飛矢崎貴規 文学研究論集 (45)、2016年)

P58 理論信仰 マルクス主義は思想史的に意義があったが。。。
・制度の物神化の問題。同時代に同じような批判あり。(飛矢崎貴規)
→理論の過度な信用と反発の激化

P60 本来、理論化の任務は現実と一挙に融合するのではなくて、一定の価値基準に照らして複雑多様な現実を方法的に整除することにあり(後略)
→理論の限界の見極め

P65 知的交流とサークル
サークルを多様な人々が出会い・学びあう場として捉えていた鶴見俊輔とは違う?

P66 自己制御力を具した主体
ジョン・ロックの構想した主体
→「「拘束の欠如」という消極的な規定から、自己立法―人間が自己に規範を課する主体的自由―という積極的=構成的な観念に高めることよって、政治的自由主義の原則を体系的に確立した」(「ジョン・ロックと近代政治原理」)

3. 論点 ※現在の日本の情況に関してはあえて除外した。
・丸山の文章は本人の意図しない意味付けを多くされてしまっているため、あらためて『日本の思想』や同時代の文章を読み直すとおもしろい。たとえば、西洋の思想の輸入一辺倒ではなかった点、理念・規範の扱いに慎重であった点など。
→アマノジャクな面(鶴見俊輔・丸山眞男の対談より)≒柄谷行人の丸山評

・今回は保守側の評論家の言説を取り上げられなかったので、今後の課題。
・当時の言論空間は日本の文化・歴史の評価をめぐってはかなり多様な議論がみられる。個人的には鶴見俊輔の評価路線を指示したいが、丸山の指摘ももっともである。丸山の指摘をどのように乗り越えていくかがポイントだが、難しい問題。

・雑種(雑居)⇔多様、あいまい(無限・無責任)⇔折衷という二面的な評価。
・日本文化の再評価と大衆文化研究は同時期の流行で連動している?

参考:特に注記を付けなかった丸山眞男の文章は、『戦中と戦後の間』(みすず書房、1976年)、『超国家主義の論理と心理』(岩波文庫、2015年)より

以上

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