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柳田国男の佐々木喜善宛て書簡にも登場する謎の労働運動家・藤井悌

 先日投稿した下記の記事で謎の労働運動家・藤井悌と柳田国男のジュネーブ滞在時の交流に関して紹介した。

さらに調べてみると、藤井と思われる人物は柳田の佐々木喜善宛ての書簡にも登場することが分かった。『定本柳田国男集』別巻4に収録されている喜善宛ての書簡から引用してみたい。

大正十一年十二月九日 岩手県上閉伊郡土淵村山口佐々木喜善君 封書 (前略)先日も此宅にとめていた若い日本人が肺病と見えて血を吐き、しかも少しも食器などに注意してくれぬので、非常な不安を感じましたが、その折も自分の發願といへば日本に還つて少くも三十冊の炉辺叢書を書かうといふことであり、(後略)(一部現代仮名遣いにあらため、筆者が重要であると考える部分を太字にした。)

これだけだと誰のことだか分からないが、『定本柳田国男集』第3巻に収録されている「端西日記」には以下のような記述がある。

(大正十一年)十一月四日 土よう 寝室を消毒す。藤井君屡々血を吐くといふから也。(後略)

藤井のヨーロッパ滞在記である『ナポリの浮浪児』にも大患をわずらったと述べられているため、喜善宛ての書簡に登場する「若い日本人」は藤井のことではないかと思われる。藤井はかなりの重病であり、柳田はその病が自分にうつることを懸念していたことが分かる。

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