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『熊楠研究』第16号に載っている謎の社会運動家・本多季麿の南方熊楠宛書簡

 『熊楠研究』は書名の通りに南方熊楠の研究雑誌であるが、この雑誌には資料紹介として南方や様々な人物が南方に送付した書簡が翻刻されて紹介されることがある。特に南方の書簡には様々な情報が記載されているため、南方に関心のある方以外も資料として活用できる可能性があることは以下の記事でも紹介した。

『熊楠研究』16号(2022年)には、拙noteでも紹介したことがある謎の社会運動家・本多季麿が南方へ送付した書簡が翻刻、紹介されている。本多の来簡は南方熊楠顕彰館に10通所蔵されている。私も本多のことを調べるために、この来簡をいずれ閲覧したいと考えていたので、この翻刻は非常にありがたかった。書簡の内容はとりとめのないエロ話が多いが、今迄よく分からなった本多の人間関係や活動に関する情報も載っているので、以下にいくつか紹介しておきたい。

・梅原北明と同じく軟派・性風俗の文献の編集者・書き手であった酒井潔と本多は交流があったようだ。酒井は南方邸を訪問しており、その時の印象を個人誌『談奇』第五冊(1930年)に「南方先生訪問記」として執筆している。(『談奇』は現物をもっているので、以下に写真を掲載しておきたい。)本多によれば、酒井に笑本や雑誌や原稿稼ぎの種を与えたことがあるという。しかしながら、本多は酒井によい印象を持っていなかったようである。1935年12月7日来簡には以下のように酒井のことが語られている。

(前略)酒井潔は怪しからぬ奴に有之、曽て不肖の原稿へ勝手に署名して雑誌に掲載されたことがありましたが その内容があまり世間体のよくないもの故 不肖の本名など出されると近所合壁外聞も不宜 酒井の恥をかくのは勝手として大目に見ていると 近頃名古屋に転居して移転の通知もよこさぬのみか 人がわざわざ住所をたづねて手紙をやっているのに返事もよこさぬ こんなことなるべく黙ってをいてやろうと思ふが あまり人をふみつけているので先生にまで申し上げておきます。(後略)(一部を筆者により現代仮名遣いにあらためた。)


・宮武外骨、中里介山と交流があり、実際に会っている。また、賀川豊彦とも交流があったようだ。

・本多によれば、菊池寛が編集した『日本英雄伝』という本を菊池の代理で編集していたという。NDL ONLINEで調べると、『日本英雄伝』は1936年に菊池の監修で非凡閣から第1巻から第10巻まで出版されたシリーズであることが分かった。この本の中に直木三十五も載っており、本多は直木を削除したかったが、非凡閣から菊池を怒らせたくないという理由で本多の意見は除けられたようだ。

・岡田播陽という人物と回教寺院に生きトルコ語を子供に交じって勉強している中岡艮一を目撃している。

本多の書簡からは、本多は表にはあまり表には出てこないが、人と人を結び付けたり、裏で活動したりする人物であったことが伺える。まだまだ謎がありそうな人物だ。


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