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北条民雄の評価の難しさ

 北条民雄はハンセン病の療養所に入院しながら、「いのちの初夜」、「道化芝居」などを書き、ハンセン病文学の代表的な作家のひとりであることは知られている。先日、私もよく参加させていただいている読書会で北条の「いのちの初夜」を取り上げるために読んだ際に、作品自体はとてもおもしろかったが、ひとつ素朴な疑問が生れた。それは、北条の作品は彼のハンセン病の療養所に入院しているという境遇や背景とセットになって評価されているのではないか?という疑問である。北条が療養所に入った昭和前期はハンセン病は不治の病として恐れられていたため、北条の評価の高さの理由のひとつにこのような境遇もあったのではないだろうかと考えた。

 後日、私と同じ疑問を持っていた方がいらっしゃったということをTwitterを通して知った。北条は川端康成と深い交流があったことが知られているが、その書簡のやり取りに関してTwitter上で発言したところ、磯部敦さんと木村哲也さんより以下の論文があることをご教示いただいた。

上記の論文の中に興味深い指摘があるので、以下に引用してみたい。

北條民雄はハンセン病文学の旗手となったが、そこには文壇によって方向づけられ、読者によって追認された<特殊性>を前提とした<異端化>のまなざしに拠る受容と評価が大きく作用していた。

言い換えると、ハンセン病の療養所に入院していたという北条の<特殊性>が、川端を中心とした文学者たちに注目され、その<特殊性>を正面に出して紹介されたため、その<特殊性>が流通したとなるだろう。ここで興味深いのは、北条の境遇の<特殊性>が評価者によって大きく方向付けられたということである。この論文では、このことが理由のひとつとなって「「北條の書くようなものがハンセン病文学である」という図式が成立してしまった」と指摘されている。

 この指摘は北条の作品の評価の難しさを考えさせられる。作者の境遇(作者自身)と作品は切り離して考えるという言説は広く流通しているが、北条の作品にこの考えを適応するのは、今までの評価のされ方を考慮すると簡単にはいかないのではないかと思う。北条の作品の主題が、ハンセン病の療養所に入院していたという自身の境遇と深く向き合ったということで生まれているため、この状況と切り離して考えることは難しいようにも思われる。一方で、以下の北条から川端への書簡から、北条もこのことを少なからず意識していたであろうことが推測される。

(前略)らい以外のことはいずれ書こうと念願しておりますけれど、まだその用意が出来ておりません。これはらいを書くよりもずっとむずかしい事ですし、それに誰も書いておりますので、どうしても、もっとたしかな自分の眼と、腕を持たねばならないと思っております。でも是非書かねばならないと思っております。らい以外のことを書いてこそ自分も作家になれるのだと思います。(後略)(北条民雄から川端康成への書簡 昭和11年12月3日『北条民雄小説随筆書簡集』(講談社文芸文庫, 2015年)より)

ハンセン病以外のことを文章にしてはじめて本当に作家として認められるのではないかと北条が考えていたことが分かるだろう。言い換えると、北条は将来的には自分のハンセン病という<特殊性>を帯びた境遇を切り離した作品を書きたいと考えていたのではないだろうか。

 しかしながら、北条の作品には、自身も意識していたと思われるハンセン病にかかったという<特殊性>の中に時代や場所を超えても共感できる<普遍性>が表現されているために、現在まで読み継がれているのではないだろうかと私は「いのちの初夜」を読み直して考えた。上記の論文に指摘されているように北条の作品の評価をめぐる構造的な問題があることは注意するべきであるが、その構造によって北条の作品がよくないものだとなることはないだろう。

 最後に余談だが、Twitterでは今回のように何らかのきっかけで急に疑問が解決することがときどきある。今後もTwitterはこのように自分の考えを発展させるために有効に活用していきたい。

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