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『青年と学問』柳田国男にも登場するバビロン学会

 『学問と青年』柳田国男(『定本柳田國男集第二十五巻』(筑摩書房, 1970年)に収録)の「南島研究の現状」という章には「バビロン学会」という団体について触れられている。該当箇所を以下に引用してみたい。

(前略)民族全体としての親族関係は、却つて之を忘れようとして居たのであつた。(中略)和歌に高名なる宜湾親方朝保の如きも、沖縄の単語の中から四十か五十の例を拾い上げて、それが日本の古語と元一つであつたことを説き、恰も当節のバビロン学会の諸君の如くに、之に由つて日琉の同組を証明しようとして居る。此人にして尚然り。実に嘆息に堪へざる疎遠であり又忘却であつたと言はねばならぬ。(後略)(一部を現代仮名遣いにあらためて重要と考えた部分を太字とした。)

上記の引用部分のみでは文脈が分かり辛いので補足すると、柳田はわずかな例のみを取り上げて2つの起源を同じものであると断定する傾向を批判的に指摘しており、その例のひとつとしてバビロン学界と取り上げている。柳田がバビロン学会の研究方法を好意的に捉えていなかったことが分かる。バビロン学会に関しては、ウェブで閲覧できる以下の論文によると、中東地域の歴史を研究していた原田敬吾という弁護士が創立した研究団体であったようだ。

と普通(?)であればここで終わるのだが、上に紹介した論文からも少し読み取ることができるように、バビロン学会は現在からみるといわゆる「トンデモ」とみられる一面もあったようだ。神保町のオタさんのブログ「神保町オタオタ日記」の以下の記事でも紹介されている。

以下の記事でも紹介したように、柳田はときどき自身の著作の中で現在で言うところのトンデモ説やそれを主張する人物を批判的に取り上げていた。様々なところで指摘されている(注1)ように、柳田の周りにはトンデモ説を主張する人物や「偽史」関係者がいた。上記の引用箇所からも、柳田はそのような説や人物から距離を取ろうとしていたことが読み取れるだろう。

(注1)例えば、神保町のオタさんの以下の記事を参照。藤澤親雄と柳田は特にエスペラント関連で交流があった。柳田と「偽史」関係者やトンデモ説の主張者との関係に関しては、他にも神保町のオタさんのブログ内に多くの記事があるので、関心がある方は調べてみて欲しい。また、『怪談前後―柳田民俗学と自然主義』大塚英志(角川選書, 2007年)では、柳田と心霊主義の関係に関して検討されている。


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