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鶴見俊輔『日本の地下水―小さなメディアから』についてのメモ⑧―伝承される「抵抗」の精神

 以下の記事で、鶴見俊輔はサークルを集まる人々にとって過去ー現在ー未来をつなぎ、思想(ここでの「思想」は態度、立ち振るまいなども含む)を「伝承する場」であると考えていたのではないかと紹介したが、鶴見俊輔『日本の地下水―小さなメディアから』(編集グループSURE、2022年)では、この「伝承する場」としてのサークル、そこで発行される雑誌(ミニコミ誌)が多く紹介されているが、国家の圧力への「抵抗」が伝承されている興味深い事例があったので紹介していきたい。『地域闘争』(ロシナンテ社)という雑誌が取り上げられている「ちいさな主体がたたかう現場―「地域闘争」」からの引用である。

 日本山妙法寺があくる日に砂川をひきはらうことになったので、基地拡張反対同盟の人たちがあつまって、庵主さんとわかれを惜しんで会食をしているところだった。
 妙法寺がここに道場をたててから十五年。そのあいだ、ここに坐るといつも、首をなでるようにして昇り降りしていた米軍機の爆音も、今はもうない。この爆音の下で、尼さんたちは、十五年起き伏しして来たのだ。これからは、三里塚にいって住むという。この道場の畳なども、ここから三里塚にはこぶそうだ。前衛から前衛へと歩いてゆく戦士のようなきびしさが、この老境の尼さんにはあった。
 尼さんたちをかこんですわっている人びとは、みな中年以上である。入口から台所にかけて、中年の主婦たちがすきまなくすわっていた。この人たちのあいだには、十五年の間、アメリカ軍を相手にしてゆずらず、力いっぱい生きて来たという事実がもたらした、おだやかな明るい空気があった。

砂川(立川市)の米軍基地拡張に反対していた人びとが成田空港へ反対する三里塚へ移っていく。砂川で使っていた畳も三里塚へ運ばれていく。この畳とともに国家への「抵抗」の精神も受け継がれていく。このような「抵抗」のつながりも鶴見がサークルに期待していた点であったのだろう。

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