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『熊野趣味研究』という趣味誌について

 ある趣味誌に出されていた広告で『熊野趣味研究』という雑誌があることを知って、どのような雑誌なのか気になっていたが、少し前に某所でこの雑誌の第1巻第1号を閲覧する機会があったので、書誌情報を紹介していきたい。

大きさ:約24.4cm×約14.5cm、和装本、謄写版
印刷:大正15年5月15日
発行:大正15年5月20日
編集兼発行印刷人:上中宗太郎 和歌山県田辺町北新町
頁数:18頁

巻頭言
編集者のことば
田邊藩札の沿革 宕陽(鈴木融)
編集者のことば
貝について 木下清一郎
大正切手礼賛 蒐楽
編集者のことば
日本の印紙 新家積蔵
編集者のことば
足袋票の蒐集と私の経験 小林政雄
編集者のことば
紀念スタンプの種類 朝紅生(名和長嘉)
編集者のことば
偏狭な商人根性考が浅過ぎる 鷲見東一
誌友通信 島田謳舟氏より
編輯追記

上中宗太郎は郵便の蒐集家であり、以下の記事で紹介した『蒐集家名簿』(洛葉会、昭和5年)では「記葉、官白」の蒐集家であると紹介されている。『熊野趣味研究』の目的と使命に関しては、第1巻第1号の表紙に述べられているので以下に引用してみたい。

◎本誌の目的と使命
△由来、紀州即ち熊野地方は、「陸続きの島」と称せられてゐる。それ程此地方は未だ拾く世人に知られてゐないのであります。
△然るに、此地方は、古来幾多の傳説を作り、幾多の隠れたる珍品、隠れたる趣味家を産んで居ります。
△この未開の宝庫を開き、皆様と共に研究することと、併せて一般趣味品の研究をするといふのが本誌の目的であり、使命であります。

熊野地方に関すること(郷土研究的な事項)、一般的な趣味に関すること(当時流行していた蒐集趣味的な事項)を取り上げるのを狙った雑誌であるとわかる。次に上中による「巻頭言」も引用してみたい。

巻頭言
一、「雨後の筍」といふ言葉は、近頃の趣味誌を評する常言葉となつて居ります。
二、「また出をつたな!」と、おしかりを受けるかも知れませぬが、まあ少しは見てやつて下さい、同じ筍でも、これは質がよいのですから・・・・
三、一寸断つておきますが、本誌は決して他の趣味誌の剽窃物や附焼物を載せませぬから、内容は貧弱でも、此点だけは取りえがあると思つて居て下さい。(若し万一轉載の必要が生じた場合は、必ずその出所を明かに致します。)
四、近頃、趣味誌の増す一方、趣味者も破竹の勢を以て増加しつゝあります。
五、これは非常に喜ぶべき事でありますが、一面、唯無暗に雷同的に集めて見るといふ人々の多いといふ事は、誠になげかはしい事であります。
六、「他人が集めるから自分も集める」唯それだけでは何等蒐集の価値もない。
七、その集めたものを完全に整理し、それを研究してこそ、初めて蒐集の価値が認められ、興味も倍加するのであります。
八、更に、趣味者が、お互に交換し研究して行く間に、お互の親睦さを益々深くするといふ事も亦、趣味品蒐集の目的の一つであらねばなりませぬ。
九、余が、無能をも顧みず、此小誌を発行したる所以のものは、いさゝかなりとも此蒐集趣味界に貢献せんとするの微意に外ならないのであります。
十、終りに臨み、皆様の御健勝と、貧弱なる本誌に対する厚き御援助を祈ります。
大正十五年四月 蒐楽 上中宗太郎 拝

「「雨後の筍」といふ言葉は、近頃の趣味誌を評する常言葉」と上記に述べられているが、『熊野趣味研究』が発行された当時多くの趣味誌が発行されていた。同時期に発行された『神戸趣味新聞』第8号(大正14年)に付属していた「御愛読趣味家鑑」によれば、以下の趣味誌が発行されていた。

寿々 山内神斧
寸葉趣味 伊藤子郎
趣味の燐票 佃野由兵衛
テーストポスト 吉田映一
趣味之友 石川武二
いもづる 斎藤昌三
アワー 前田晃
郵明 梶原元継
ミカド交換クラブ 小塚省治
江戸紫 鈴木祥湖
趣味と平凡 三田林蔵
万国通信世界 夏目金計
スタンプコレクタ 吉田一郎
鳩笛 田中緑紅
遊覧と名物 鷲見東一
交通運輸時報 下村完兵衛
洛葉 福田江月
川柳大大阪 本田渓花坊
東洋趣味 小幡實
交蒐 蒲原包水
三すじ 前田千之助
親郵 寺島九一郎
趣味檀 佐々木万次郎
鳥城 武田鋭二
蒐楽 津田喜代治
久壽加語 藤井好浪子
趣味 柏木克之
愛燐界 中尾佐太郎
てんわうじ(「てんのうじ」か?) 信田葛葉
あさづま 樋口朝次郎
愛書趣味 青山督太郎
大大阪時報 辻本閃光

「雨後の筍」とは、上記のような趣味誌が多く出版されている状況を指していると思われる。その中で蒐集家も増えたが、「暗に雷同的に集めて見る」人々が多いことを嘆き、「その集めたものを完全に整理し研究」することの重要性を上中は述べている。「編輯追記」では、「現在交換会なるものは既に十指を以て数へる程ありますから、これ以上は不要です。ですから本誌は廣告が目的ではなくて、記事が目的なのです」とあるので、『熊野趣味研究』は蒐集家が自分の調査、研究成果を投稿することに注力した趣味誌であったのだろう。

 上記の通り創刊号には、鷲見東一、小林政雄、木下清一郎が投稿している。これらの趣味人は「御愛読趣味家鑑」にも名前が掲載されており、趣味界では当時知られていた存在であったと推測される。大物が投稿してもらうことによって雑誌の注目度を高めようとしたのだろうか。

 個人的に気になるのは、木下清一郎だ。「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」というWebページでは、木下のことが以下のように紹介されている。

木下清一郎(1907〜1969)。1934年4月、和歌山県白浜に白浜貝館(白浜介館かも。今はない)を設立,千島から台湾に至る標本を展示していた。中でも奇形異形の貝に注意を払って一般人への説明や交流、貝類学者との交流も多かった。(後略)

上中の紹介によれば、田辺在住の貝の蒐集家であったようだが、田辺在住で生物、植物に関心をもった人物で思い付くのは南方熊楠だ。木下と南方の間に交流はあったのだろうか。

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