「あとがき」丸山眞男『日本の思想』についてのメモ―「伝統」と対峙する
先日、以下の研究会内で開催させてただいている丸山眞男『日本の思想』(岩波新書、1961年)の読書会を何とか終了させることができた。先日の読書会で取り上げた部分はこの本の「あとがき」でページ数は少ないが、中々難しいことが書かれているため該当箇所を引用してみたい。
上記に引用した部分で丸山は『日本の思想』を総括して自分の思想への影響を述べているが、解釈がなかなか難しい文章である。分かったような分からないような部分は後半の「これまでいわば背中にズルズルとひきずっていた「伝統」を前に引き据えて、将来に向かっての可能性をそのなかから「自由」に探って行ける地点に立ったように思われた」という箇所である。ここで言う「伝統」に丸山が込めた意味が難しい。以下の記事でも紹介した宮村治雄『丸山真男『日本の思想』精読』(岩波現代文庫、2001年)によると、丸山は『日本の思想』において「伝統」ということばを多義的に使用しており、「P伝統」(パターンとしての伝統)、「C伝統」(価値的なコミットメントに媒介された伝統)、「I伝統」(土着的な文化としての伝統)の3つの意味があったようだ。宮村によれば、丸山は「P伝統」を乗り越えていくために、思想と思想の対話や対決が行われ、それが蓄積されていくという後者の「C伝統」を主体的に形成する必要性を考えていたという。
この丸山の考えを念頭に置くと、上記の引用部分に登場する「伝統」は宮村の言うところの「P伝統」にあたるのだろうか。しかしながら、丸山は「伝統」のなかから可能性を探るとも続けて述べているので、ここで言う「伝統」は丸山の批判した「P伝統」でなく別の意味も含まれているように思われる。上記に引用した部分に続いて丸山は「伝統」の中から可能性を検討することについて以下のように述べている。
丸山はある思想や歴史的な出来事を評価する際にその中から矛盾したものを見出し、別の方向に行く可能性を検討することが必要であると考えていた。興味深いのは、「それぞれの逆を見出していくような思想的方法」という一文から進歩的、革命的なようにみえる思想や出来事の中にも内在している可能性のある反動的なものにも丸山は注視していたということが読み取れることである。言い換えると、丸山は進歩的、革命的な思想や出来事も「P伝統」に巻き取られる危険性があると考えていたいうことであろう。
話を戻すと、「これまでいわば背中にズルズルとひきずっていた「伝統」を前に引き据えて、将来に向かっての可能性をそのなかから「自由」に探って行ける地点に立ったように思われた」という箇所は、反動的、進歩的思想であれ巻き取られる可能性のある「P伝統」から逃れようとすること、逃れることのできた可能性―宮村の言うところの「C伝統」形成の可能性―を歴史の中から探るということが丸山の言いたかったことであろう。そのため、「あとがき」に登場する「伝統」のここでの意味は繰り返された「これまでの」「P伝統」と将来的に形成する必要がある「これからの」「C伝統」という二重の意味を含んでいると考えられる。丸山にとって「伝統」は批判や抵抗の対象というだけでなく、期待を持って探求する対象でもあったということだろう。
ところで、丸山は思想や出来事の中から「逆を見出していくような思想的方法」の重要性を考えたのは、『日本の思想』がきっかけでなくそれ以前からであると思われる。以下の記事で紹介したように、丸山の「神皇正統記に現はれたる政治観」は戦中に書かれた文章であるが、丸山は北畠親房『神皇正統記』の中に近代的思惟方法の萌芽を見出している。丸山の思想や出来事の中に二面性や矛盾したものを見る態度は初期のころから存在したと思われる。
このことについて丸山は晩年のインタビューで以下のように語っている。笹倉秀夫「丸山眞男インタビュー全3回の記録(1984・1985年)」『早稻田法學』95(4)、2020年7月より引用してみたい。
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