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丸山眞男の陸羯南評

 以下の記事で紹介したように戦後の丸山眞男の出発点となった「近代的思惟」という文章には、丸山が日本の思想の中に「近代思想の自主的成長」を検討することも必要なのではないかという問題提起がなされている。1947年に書かれ『戦中と戦後の間』丸山眞男(みすず書房、1976年)に収録されている「陸羯南―人と思想」もその仕事のひとつであると考えられるが、この文章での丸山の陸羯南に対しての評価が興味深いので紹介していきたい。

 陸羯南は新聞「日本」を発行した国粋主義的な人物として知られているが、丸山は陸を再検討することの重要性を以下のように述べている。

(前略)今日「日本」イデオロギーと封建的反動との結語はほとんどアプリオリであるかにみえる。しかしどのような凶悪な犯罪人も一度は無邪気で健康な少年時代を経てきたように、日本主義の思想と運動も、大正から明治へと遡ってゆくと、最近の日本型ファシズムの実践と結びついた段階とはいちじるしくちがった、むしろ社会的役割において対照的といいうるほどの進歩性と健康性をもったものにゆき当るのである。明治二十年代の日本主義運動がそれであり、その最も輝けるイデオローグの一人がここに述べようとする陸羯南である。(後略)

丸山は「日本」イデオロギー=封建的=悪いものという図式を自明のものと考えずに、この思想が発生した時点まで戻って陸やその思想を再検討する必要があると述べている。丸山がこの文章を書いたのは戦後すぐであったので、国家主義への猛烈な批判があった中で陸を再評価しようと述べることはかなり挑戦的であったろうと思われる。

 では、丸山は陸のどの点を再評価しようとしたのだろうか。丸山によれば、陸は自分の立場を「国民論派」としつつも「反動的なショーヴィズム」(排外的思想)と明確に区別していたという。陸の「国民論派」は国民的統一を目指すものであり、「日本国家を遠心的要素(個人自由)と求心的要素(国家権力)との正しい均衡」の上に日本国家を成立させようとするものであったと丸山は述べてる。簡単に言い換えると、人びと個人の自由・自立を前提としてはじめて近代国民国家が成立する、つまり個人の自由なくして国家の独立・自立なしとなるだろう。陸は自由主義を単純に「外来」思想とみなすのでなく、内在的な必然性をもつものであると考えていたようである。重要なのは、丸山が陸が絶対主義、官僚的な国家主義に対して激しく批判して個人の自由の必要性を訴えてそれを前提にした国家の形成を唱えていたと理解していた点である。丸山は陸のことを「現実的要求に彼(陸)の原則を従わせたことなく、かえって逆に、一切の党派乃至現実的動向を彼の原則に照して批判した」と評している。以下の記事で紹介したように、丸山は具体的な現実/抽象的な思想・理念を分けて両者の関係性を考えながら抽象的な地点から現実を検討できることを近代的な思考方法であると考えていたが、丸山にとって陸は現実に追従することなく自分の中の「個人の自由とそれを前提とした日本国家の独立」という原則から現実を批判した近代的な思想家であったのだろう。

 一方で丸山は陸の歴史的な制約を指摘している。丸山によれば、陸は「国民」を「単なる君民の総括的名称にほかならず、なんら具体的限定を付されていない」という。ここで丸山は、陸の「国民」の中には君主、貴族、藩閥、紳商などあらゆる階層の人物も含まれていることを指摘して、後年の『日本の思想』で表現される「雑居性」を見出している。(ただし、陸を評した文章で丸山は「雑居性」という表現を使用していない。)丸山によれば、陸の思想は歴史的具体性が考慮されておらず、それ故に階層間の対立、それを克服しての民主主義いう方向ではなく全体主義につながる全体の調和という方向に向かう可能性を内包しているという。ここで丸山が言う「歴史的具体性」とは、「国民」は「特殊的に近代国家を積極的に担う社会層」のことであり、その社会層は王族や貴族などの「アンシャン・レジームの支配層」は排除されていたという歴史的な事実のことである。簡単に言い換えると、陸の想定している国民の定義はヨーロッパのような貴族対人びとという対立を踏まえておらず、人びとを中心とした近代的な国民国家を形成できないと丸山は考えていたとなるだろう。丸山はこの点に陸の思想の歴史的な制約を見出していた。

 上記に簡単に紹介したような陸の思想の弱点を丸山は指摘しつつも、陸の課題を継承して「その中道にして止まった不徹底を排除」して「正しい国民主義運動が民主主義革命と結合」することの必要性を主張している。この文章が発表されたのは戦後すぐなので、志半ばでついえた陸の思想を紹介することで丸山は戦後の動向に期待を寄せていたのだろう。

 最後に読書会の紹介をさせて欲しい。以下の記事で紹介しているように『日本の思想』丸山眞男の読書会を企画しているので関心のある方は問い合わせてみて欲しい。




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