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ナラティブベースな片づけ

エビデンス&ナラティブ

今日は衣食住を整えるための具体的な思考方法について綴っていきたい。

衣食住を整える際には、自分がまずはいかに〝認知のクセ〟というか、〝非合理的な判断〟を下しやすいかということを認めてあげることからはじめなければならない。

そうしないと、事あるごとに自分が思っていることと真逆のことをしてしまった時などに、いちいち自己嫌悪に陥ってしまう。

それを繰り返していくうちに、「学習性無力感」に陥り、自分を変えることを諦めてしまうこととなると思う。

〝やっても無駄〟

〝苦労するより今のままでいい〟

〝失敗したくない〟

〝あれこれ考えるのが面倒。だったら残しておいたほうがいい〟

〝あれを食べないほうがいい。これはカラダに悪い。太りやすい食材は〇〇…。小難しいことは嫌い。だったら何も考えずに好きなものを好きなだけ食べたい〟

こうして、考えることを放棄して、現状に甘んじてしまう。

わたしもよくこうした思考の罠に入りこんでしまう。

それなので、ヒトの脳のデフォルトは非合理的であることを認める。
そして、諦める。

まずは、そこからスタートする。

例えば、ダイエットしたいと思っているとする。
日中は自制心を保って、自分の理想とする食事を摂取できていたのに、仕事が終わり、夕食を食べてほっと一息ついた時なんかに間食の誘惑にさらされ、それに抗うことができずに食べてしまう。

すると、

「えい、この際」

と、なし崩し的に連鎖反応が起きる。

そして、自己嫌悪に陥る。

この繰り返しが自己コントロール感を失わせ、自己肯定感を下げていく。

こういったループは誰しも経験があると思う。

明らかに使わないモノや着ない服がある。
何年も家の中に居座っている。
冷蔵庫に賞味期限切れの食材や調味料がある。
いつからそこにあるのかは遠い昔のこと。

その存在を意識はしているが、今後も使う見通しや着る予定もない服をいつまでも手元に残してある。

考えるのが面倒だから長年そのままになっている。

いつか」、「また今度」、「もったいない」という呪縛の魔法から逃れられない。

こういった、進化においてヒトに備わってきた非合理的な判断や行動は自分だけではなく、ほぼ万人において共通のデフォルトだと受け止める。

それでもって、行動経済学や心理学、習慣形成の方法を駆使して、それに柳のように柔軟に対応する姿勢が求められるのは歴史上、現在において他にはないのではないだろうか?

様々な企業がモノを売る際には、この行動経済学や心理学の教授やそれを生業にするコンサルティング会社がバックについており、ヒトのデフォルトである脳幹や大脳辺縁系をいかにハックするかに全身全霊をもってのぞんていると考えていいだろう。

いかに強いインパクトで注意を喚起し、ドーパミンを出させるか、思考を停止させ、簡単に商品を手にとらせ、スマホをポチッとさせ、財布のひもをゆるめるか。

この戦いの渦中のど真ん中に私たちはいる。

それなので、わたしたちも賢い消費者として、しっかりと武装していないと、このアテンションエコノミーでは容易に食い物にされてしまう。

エピジェネティクス〟という考えがある。

生体にとって新たな遺伝子をつくる必要が生まれるのは、遺伝子そのものではなく、生体を取り囲む環境からのシグナルによって必要な遺伝子が現れるように活性化されるということを提唱している理論である。

環境が遺伝子の活動をコントロールしているという考え。

DNAという内在しているものに関するというよりも、外界の影響によって、遺伝子がどのように活性化され、どのように細胞が生まれるのかに重きを置いているのが特徴である。

フランスの生物学者のラマルク曰く、

〝進化というのは、つねに生物が変化する世界の中で生き残るために必要な、環境に対する適応力を獲得した結果なのだ〟

現代の〝アテンションエコノミー〟という環境を肥満や鬱、集中力の低下、不安といった文明病を引き起こす悪玉と決めつけるのではなく、逆に進化のブースターとなる糧とするポジティブさやレジリエンスが求められる。

衣食住を整える上で、行動経済学や心理学、習慣形成のメカニズムは基本装備として、実装するのは必須である。

これを実装すると、とてもない武器となる。

そして、一度、学んでしまえば、ほぼ一生ものの資産となる。

だから、とっとと習得してしまうに限る。

短期に集中的に習得し、あとは人生をかけてトライ&エラーで磨きをかける。

尚、こうした〝エビデンスベース〟の知識や技術体系に加えて、それと補いあうものとして、〝ナラティブベース〟なものを求める欲求もヒトには進化上、備わっていると思うのである。

エビデンスとは、そもそも医療や学術用語として使われているもの。

直訳すると、「根拠」とか「証拠」、「裏付け」という意味を持つ。

医療やアガデミックな現場から派生し、いまやビジネスの場面や日常でも使われるようになっている。

対してナラティブとは、直訳すると「物語」という意味である。

ストーリーも意味するところは、物語となるが、こちらとは意味合いが異なる。

ストーリーは、単に物語の筋書きや内容を指すが、ナラティブとは、私たちそれぞれが個人が主体となって語る物語のことである。

自分が人生の主人公であり、それぞれが物語を紡いていくイメージである。

エビデンスは判断する上で決定を後押ししたり、自分や他者を納得させるのには不可欠であろう。

しかし、わたしは「エビデンス、エビデンスをもっと出せ。エビデンスこそ至上だ。エビデンスなき主張は信頼に値しない」、そんな主張には、待ったをかけたいのである。

巷にいるこのエビデンスおじさんというか、エビデンス星の住人には時折、食傷することがある。

確かにエビデンスベースで語るのは、大事であるが、それ以上にナラティブを重視したいのである。

理詰めで、統計や数字。図の羅列を見せられた上で、ヒトは本当の意味では心が動かないのではないかと考えるのである。

例えば、ある宗教があるとする。
信者が世界に1000万人いて、その数は年間にして8%ずつ着実に増えている。
その内、日本が占める割合は約13%である。
年齢層の内訳は20代が〇割、30~50代が〇割‥‥。
その理念に対して集まる寄付金はこれくらいである。
あの超大御所ミュージシャンの〇〇や芸能人の○○も名を連ねている。

などといったエビデンスを図解でつらつらと並べられても、心は真には動かされなかったりする。

それよりも、コアにナラティブベースな語りがあるほうが、心に刺さってくるのである。

最終的に心動くのは、エビデンス&ナラティブの相互作用が及んだものだと思うのである。

リーダーシップ片づけ術

こうして考えみると、衣食住を整える上でもエビデンス&ナラティブベースな思考が重要となる。

エビデンスベースが行動経済学や心理学、習慣形成のメカニズムだとするならば、ナラティブベースとは自分の価値観やアイデンティティから出てくる自分が主人公となる物語である。

つまりは、〝WHY〟から始まるのである。

ちなみにわたしが衣食住を整える上で考えているナラティブは、自分が会社の経営者やあるプロジェクトにおけるチームリーダーであると仮定することである。

自分の〝WHY〟とは、会社でいう〝企業理念〟、チームでいう〝目標〟とか〝プロジェクト〟に当たる。

衣食住を整えるとは、自分の〝WHY〟にエネルギーを集中させるためである。

企業理念や目標、プロジェクトに当てはめると、最大限の結果を出すためには、どうすればいいかを考えることである。

この考えは、書籍『人を動かす人の「質問力」』(ジョン・C・マクスウェル/三笠書房)からインスパイアを受けている。

書籍では、

人生では、「投げかけた質問」の答えしか返ってこない。適切な質問ができれば、答えを知るための戦いは半分勝ったようなもの

「卓越した質問」で「見事な人生」を彫刻する

とある。

まずは、自分に質問を投げかけるのである。

自分はどうして衣食住を整えたいのか?

これを何度も何度も深堀りしていく。
深堀りしていく中で、〝WHY〟が磨かれていく。

この〝WHY〟が出来上がれば、衣食住を整えることは半分は完了したようなものである。

この〝WHY〟を掲げる会社経営者やチームリーダーとして、チームや組織全員が一丸となって、その目標を遂行するために、モノたちが働けるように、励まし、支え、力になるように動くのである。

モノたちの長所や短所を把握し、各モノの良い所を活かしてチームを勝利に導いていく。

こういうイメージをもって、モノと向き合いながら、衣食住を整えていくのである。

かつて、偉大なるカリスマ、強いリーダーシップを誇っていた元米大統領のジョン・F・ケネディはこう言った。

国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを問うてほしい

つまり、衣食住を整える上でリーダーシップとは、モノに奉仕するというマインドを持つこと。

モノに対して、常にこう問おう。

あなたのために何ができるか?


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