クリエイターとユーザーの境界線があいまいになるこれからのエンタメのあり方
皆さんはこの動画から
何を思いますか?
14秒の動画は
瞬く間に拡散して、
はツイッターのトレンド入り。
商標登録もされるなど
一時話題をさらいました。
短くて、創造性に乏しく、
ためになる情報も見当たらない。
でもバズりました。
■「最もニューヨーク的」
ニューヨークを象徴する動物が、
ニューヨークを象徴する食べ物を引きずる様子は、
多くのニューヨーカーにとって
自分自身の「今」を想起させるもの。
夢を抱いてたどりついた大都市。
自信と不安が交差する中で、
いまだ小さくて取るに足らない自分(ネズミ)が、
自分より大きなもの(ピザ)を
懸命にたぐりよせる。
現在の自分を
俯瞰してみるような感覚に陥り、
思わずシェアすることで
「自分自身を表現」したのです。
■ここに
現代社会の「エンタメ」
が果たす役割に思いをいたしました。
人々はエンタメを通して、
自分のアイデンティティを表現し、
他の人々とつながり、理解を深め、
社会を動かしていく。
エンタメは動画やSNSにとどまらず、
組織や企業、サッカークラブといった
コミュニティの主体
にまで広がっていく。
コンテンツ(商品やサービス)が
まるで副次的な存在であるかのように、
コンテンツのその先にある
「つながり」「承認」
「インタラクティブな体験」
が重視される。
エンタメが自分の生活において
どのような潜在的役割を果たすのか。
私たちは何者であり、
何を大切にしているのか。
その答えがあいまいなエンタメ、
もしくは企業、スポーツクラブ
に対する評価は今後、
より厳しいものになっていくのではないでしょうか。
■番組や局が
コンテンツを一方的に企画し、
高い撮影テクニックを駆使して
幅広い層の視聴者に届ける。
これがテレビ的な考え方です。
情報伝達には限界があり、
投資対効果が重視され、
多くの利害関係者におもねる世界では、
画一的なパターンから脱却することが難しい。
ところが、
YouTubeに代表される
現代の映像はその限りではありません。
ヒットするかどうかを
事前に誰かに忖度する必要はなく、
稚拙な編集によって
「作りもの感」が排除された日常が主役。
ユーザーとのインタラクションを中核
にすえたフォーマットは、
距離感がなくて、
クリエイターとユーザーの境界線はあいまいです。
おまけに、
毎日量産され続けるコンテンツは、
YouTubeのアルゴリズムによって
ニッチ化を促進させている。
あそこのコミュニティのスターは、
ここのコミュニティでは誰も知らない。
有名人やタレントに依存しない、
友達感覚のコミュニティです。
■スポーツクラブも同様に、
ファンは単に競技を楽しむだけ
にとどまらない。
クラブを通した「体験」が価値。
傍観者ではなく参加者として、
自分自身を表現したり、
自分との関連性を感じられる。
そんなファンに対して、
一貫したコミュニケーションをとること。
継続的に反応し、接触し、
交流を図ることが、
クラブに期待される能力です。
サッカーも大事ですが、
サッカーを通じたインタラクティブな体験が、
サッカーよりも重要になる世界。
■どう進めるべきか。
そのロードマップは白紙のまま。
ファンとのコミュニケーションによって、
アナログなアルゴリズムを発動させ、
最適化されたアクションを
継続的に行っていく。
コミュニティは、
カオスで乱雑で、
収拾がつきにくい場になりますが、
ファンにとっては、
どこよりも自分自身を感じられる、
アイデンティティを大切にできる場所
として愛してくれます。
サッカークラブはファンや市民にとって
街の象徴であり、楽しみであり、
心の拠りどころであり、重要な産業である。
サッカークラブは何者なのか。
サッカークラブが大切にする価値は何か。
答えは、
ファン同士、
ファンとクラブがつながること
意見が反映されて、
自分自身が承認されて
自分はちょっと変わってる
と思っていたけど、そうでもない。
自己肯定感を芽生えさせてくれる
所属意識をもたらしてくれる場
に隠されている。
一方通行で閉鎖的で
競技性に依存するのではなく
どのようにして
双方向性をデザインできるのか。
を見ながら
これからのエンタメのあり方について
頭の中を整理してみました。
今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。
それではまた明日。
おつかれっした!
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