見出し画像

母の料理は、慈悲深い

2023年10月4日。水曜日。
朝起きてメイクしながら、今晩何を食べようかなと考えた時に、母の作る、茄子をらっきょ酢でくたくたにしたやつをふと思い出した。

大学上京とともに実家を出たので、実家を離れて丸10年が立つ。一緒に住んでいた頃のご飯から変わらないメニューもあるが、丸10年の間に母の料理も多少なりとも進化を遂げている。実家に帰省するたびに、新しいレシピや味付けに挑戦している姿はほほえましくもあるが、昔一緒に住んでいたころに食べていたご飯の味ってどんな感じだったっけ、と記憶が曖昧な自分に少し寂しさも感じたりする。

けれど、母の作る料理に昔から変わらず根底にあるように感じるものがある。それは、慈悲深さ、だ。
食卓に並んだ料理を見て、これは何、と聞くと、だいたい母は、「菜っぱを炊いたんと、茄子をらっきょ酢で煮たんと、大根レンチンしたんと、きゅうり切っただけのやつ」、というような、料理名ではなく、食材をどう加熱したか・切ったか、という回答を返してくる。そして使われる野菜のほとんどは、田舎のおばあちゃんが育てた野菜なのである。
いろいろな調味料を使うわけでもなく、時間をかけて煮込んだりするわけでもなく、色合いも豊かなわけでもないが、魔法のような速さで何品も食卓に並ぶそのどれもが美味しく、体に優しく、そして慈悲深さを感じるのだ。

作り方を聞くと簡単そうなのに、家でいざ再現しようとすると、同じ味にならないのが母の味。
ちなみにお菓子作りもする母。クッキーのレシピを教えてもらい、これまで幾度とチャレンジしてきたが、一度たりとも同じ仕上がりになったことはない。食感がどうも違う。
年の功とでも言うのだろうか。秘訣を聞いても秘訣がないようで、温度とか湿度が影響してるんじゃない、とふわっとしたコメントを返され、一向に解決策が見つからない。

あとどれくらい歳を重ねたら母と同じ味を再現できるのだろう。
もしかするとこのまま再現することはできないのかもしれないし、別にする必要もないのかもしれない。
けれど、母の料理の一番の味付けとも言える慈悲深さだけは、受け継ぎたいと強く思う。それは確実に食べる人の心を癒す効果があるのだ。
これこそ明確なレシピがなくてどうやって到達するのかわからないけれど。

そんな私の夜ご飯は、豚の生姜焼きと、炊いた茄子にらっきょ酢をぶっかけたもの。おいしいけれど、またもや絶妙に仕上がりが違う。

母への道のりは長い。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?