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あずさ2号の主人公に気持ちを重ねてあずさに乗ってみた

10月19日、20時。
新宿発松本行きのあずさ53号が出発した。

出発15分前に到着すると、ホームに結構人が並んでいる。こんな夜遅いというか絶妙な時間帯に、松本行きの列車に乗る人はそこまで人いないだろう、と予想していたので、意外だった。スーツを着た会社員らしき人、制服を着て、カバンにじゃらじゃらキーホルダーをつけた女子高生、一泊用のスーツケースと東京土産を手にした、帰省すると思われる若者、ラインナップは様々だ。

列車の扉が開き、ゾロゾロと人が中に流れ込む。乗り込もうと歩み始めたとき、自分が並んでいたのは正式な列でないことに気づき、ゾロゾロの軍団の最後尾に回って乗り込んだ。一方で、自分の前にいた、正式でない列を作っていた数名は、なぜか動かなかった。次の列車にでも乗るのか?と思ったが、その数名は最初から、自分たちが正式な列に並んでいないことを認識したうえで、そこに並んでいたことに気づいた。ドアに近い位置で正式な列が入り切るのを見送って、私の後ろに続いてスッと入ったのだ。なるほど、時間と引き換えに無駄な動きを省いたのか、となぜか感心した。
そういえば小学生のころ、100円玉しか持っていなかった同級生が、自動販売機で100円もしない350ml以下のドリンクを買おうとした。彼女の母親が、「あと数十円足せばドリンクの量も倍になってお得なのよ」と言い、20円程渡して、500mlのドリンクを手にして嬉しそうにしている同級生の顔がふと思い浮かんだ。
少しの対価を払えば大きな利益を得る、ということをこの時初めて学んだように思う。あずさ53号に乗り込むとともに、こんな昔話を思い出した。

7号車、通路側の席についた。程なくしてカジュアルなスーツルックの男性が隣に来た。こういう時、だいたい年配のおじさんを引き当てがちなのだが、今回はいつもよりは若めの男性を引き当てた。おっ、と思った。だからどうってことはないのだが。

男性は着席と共に、ビニール袋からアサヒスーパードライのロング缶とチーズを取り出して一人で一杯始めた。いつもなら、うわあ自分もやりたい、と思ってしまうが、家を出る前にたらふくご飯を食べてお腹がいっぱいなため、その欲求も落ち着いており、冷静に男性の動向を眺めることができた。
20時少し前にプシュッと缶を開けたと思ったら、20時7分にはロング缶も空っぽになり、前方の飲み物ホルダーにしまっていた。ペースが早い。でもわかる。なぜだかわからないけど新幹線で飲むとぐいぐいいってしまう感じ。新幹線の走る速度に合わせちゃうのか。それだと秒でなくなるから違うか。
袋に1/4ほど残ったチーズはどうするのだろう。酒のあてとしてではなく、お食事として楽しむのだろうか。
男性の行動を予想すべく、頭がぐるぐる回る。

男性は空になったロング缶に手を伸ばした。
あ、ちょろっと残ってるのを飲み干すのか、と思いきや、その想像は裏切られ、ビニール袋に空いた缶を戻し、流れるようにそのビニール袋から新しいアサヒスーパードライロング缶を取り出した。

えっ。騙された。静かにバレないように男性の動向を見ていたのに、ビニール袋だって見ていたのに、もう一缶新しいものが潜んでいたなんて。
ビスケットをたたけばビスケットが2つ、という童謡を思い出した。まさにそんな状況だ。
思ってもみなかった行動をとられてなぜかちょっと悔しい。けれど男性の飲みっぷりは気持ちいい。
ロング缶片手に一人静かに外の景色を眺める姿は、なんだか見ていて心地良い。

男性は黒いマスクをしている。一口飲んだり食べたりするごとに、ご丁寧にマスクを上げ下げしている。隣への配慮だろうか、マスクをしない人が増えた今だからこそ、逆に気になる行動でもあり、有り難くもある。
これも心地よいと思うポイントの一つだ。

勝手に末路を心配していたチーズ達も、二缶目のアサヒスーパードライとともに、列車がすーっと走るように、男性の喉元をすーっと流れていく。良かったね、チーズ。そしてロング缶を音を立てずにそっと置く仕草が美しく、永遠に飲んでいてほしいと思ってしまう。

20時33分。あずさ53号が八王子に到着した。男性は慣れた手つきでロング缶二缶をビニール袋にしまい、すっと立ち上がった。
なるほど、八王子で降りるのか。だからこのスピード感だったのか。最初から最後まで予想させてくれない、立ち去り方まで静かな男性に、深い納得感を感じながら見送った。

今回私は乗車中に何も飲み食いしなかったけれど、次に列車に乗ってゆっくりする機会がある時は、この男性のように美しく、静かにお酒を味わいたいと思った。

男性がいなくなったあと、ふと狩人の「あずさ2号」が聞きたくなった。テレビで流れているのを横耳で聞くくらいで、ちゃんと通しで聞いたことがそういやない。すぐにYoutubeであずさ2号と検索した。しかしトンネルを通過したタイミングでWi-Fiが劇的に弱まり、一向に立ち上がらない。永遠にサムネは登場せず、グレーアウトするYoutubeの画面にしびれを切らした私は、会社携帯を利用しデザリングを行い、自身の携帯のネットワークを復活させた。
選択した動画はおそらくアップされている「あずさ2号」の中で再生回数の一番多い動画。
歌詞を聞いていると、おそらく主人公らしき女性が、関係のあった男性と、新宿~信濃路に向かう「あずさ2号」に乗って、男性にお別れを告げている話のようだ。新宿~八王子までご一緒した男性を、誠に勝手ながらこの歌詞の男性に重ねることで、女性の感情をくみ取るという遊びをしていたら、いつの間にか目的地、茅野駅に到着した。
私は用事があってここに来たが、歌詞の中の男女は一体何をしに信濃路へ行ったのか。歌詞の中に桜とあるので、花見に適した時期であることは認識したが、それ以外に何があるのか。とりあえずの逃避行先か。歌詞の中の女性の行動を予想すべく、再び頭をぐるぐる回しながら、私は目的地へ向かった。

翌日は17時55分茅野発新宿行きのあずさに乗った。
列車が到着したとき、窓から中の様子が見えた。横並びに座るサラリーマンたちは、窓側に積み木のようにお酒の缶を並べていて、出来上がり具合が容易に想像つく。歌詞の女性に気持ちを重ね哀愁漂わせていた私は少々面食らった。

昨日の行きのあずさでもかなり人がいて驚いたのに、帰りは満席だった。金曜日のこの時間に一体だれが乗るというのか。見渡すとスーツを着たサラリーマンやヨーロッパ系の外国人が多数乗車していた。今年の外国人観光客数がコロナ前に追いついた、というニュースを耳にしたが、まさに肌で感じる状況だ。

新宿駅に着くころ、ドア付近に人が並び始めた。私の席は車両の一番後方、通路側だったので、横に人が立ち始めて少し圧迫感を感じた。ふと窓に目をやると、通路に並んだ人が映っていた。私の席の真横には腰の曲がった白髪のおばあさんが一人、その前後に長身のイタリア系外国人男性が立っていた。男性たちは同じグループのようで、おばあさんを挟んで会話をしていた。途中男性が手のひらを広げて、外国人がよくやる「全く、やれやれ(溜息付き)」または「さあね」と感じたときのジェスチャーをしたとき、その手の位置はおばあさんの顔の前に触れそうになり、一瞬おばあさんがびくっとした。
窓に映る3人を見ていると、歴史の教科書に載っている、戦時中に書かれがちな風刺画を思い出した。

当分の間長野方面に行く予定はないが、次にあずさに乗るときはまたどんな出会いがあるのか。ほんの少し高揚感を抱きながら、今回の旅を終えた。


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