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あなたが必要な理由。
戦前の小学校の国語の教科書に載せられていた
『小さなねぢ』というお話です。
暗い箱の中にしまい込まれていた
小さな鉄のねぢが、
不意にピンセットにはさまれて、
明るいところへ出された。
![](https://assets.st-note.com/img/1718315600530-7UnFQZR1m5.png)
ねぢは驚いてあたりを見廻したが、
いろいろの物音、いろいろの物の形が
ごたごたと耳にはいり目にはいるばかりで、
何が何やらさっぱりわからなかった。
しかし、だんだん落着いて見ると、
ここは時計屋の店であることがわかった。
![](https://assets.st-note.com/img/1718315601680-RELYWQhK5Q.png?width=800)
自分の置かれたのは、
仕事台の上に乗っている小さなガラスの中で、
そばには小さな心棒や歯車や
ぜんまいなどが並んでいる。
きりやねぢ廻しやピンセットや
小さな槌やさまざまの道具も、
同じ台の上に横たわっている。
周囲の壁やガラス戸棚には、
いろいろな時計がたくさん並んでいる。
カチカチと気ぜわしいのは置時計で、
かつたりかつたりと大きいのは柱時計である。
![](https://assets.st-note.com/img/1718315601922-4l7O6mwfYl.png?width=800)
ねぢは、
これ等の道具や時計をあれこれと見比べて、
あれは何の役に立つのであろう、
これはどんな処に
置かれるのであろうなどと考えている中に、
ふと自分の身の上に考へ及んだ。
「自分は何という小さい情ない者であろう。
あのいろいろの道具、たくさんの時計、
形の大きさもそれぞれ違ってはいるが、
どれを見ても自分よりは大きく、
自分よりは偉そうである。
一かどの役目を勤めて世間の役に立つのに、
どれもこれも不足は無さそうである。
ただ自分だけがこのやうに小さくて、
何の役にも立ちそうにない。
何という情ない身の上であろう。」
不意にばたばたと音がして、
小さな子どもが二人奥からかけ出して来た。
男の子と女の子である。
![](https://assets.st-note.com/img/1718315601436-rIBqBXYW5D.png?width=800)
二人はそこらを見廻していたが、
男の子はやがて仕事台の上の物を
あれこれといじり始めた。
女の子はただじっと見守っていたが、
やがてこの小さなねぢを見付けて、
「まあ、可愛いねぢ。」
男の子は指先でそれをつまもうとしたが、
余り小さいのでつまめなかった。
二度、三度。やっとつまんだと思うと
直に落としてしまつた。
子どもは思わず顔を見合わせ。
ねぢは仕事台の脚の陰に転がった。
この時、大きな咳払いが聞えて、
父の時計師が入って来た。
時計師は、
「ここで遊んではいけない。」
と言いながら仕事台の上を見て、
出して置いたねぢの無いのに気が付いた。
![](https://assets.st-note.com/img/1718315602668-NkGVp7Pmy8.png?width=800)
「ねぢが無い。
誰だ、仕事台の上をかき廻したのは。
ああいうねぢはもう無くなって、
あれ一つしか無いのだ。
あれが無いと町長さんの
懐中時計が直せない。探せ、探せ。」
ねぢはこれを聞いて、
飛上るように嬉しかった。
それでは自分のような小さな者でも
役に立つことがあるのかしらと、
夢中になって喜んだが、
このような処にころげ落ちてしまって、
もし見つからなかったらと、
それが又心配になって来た。
親子は総掛かりで探し始めた。
ねぢは「ここに居ます。」
と叫びたくてたまらないが、口がきけない。
三人はさんざん探し廻って
見付からないのでがっかりした。
ねぢもがっかりした。
その時、
今まで雲の中にいた太陽が顔を出したので、
日光が店いっぱいにさし込んで来た。
するとねぢがその光線を受けて
ぴかりと光った。
![](https://assets.st-note.com/img/1718315600231-QEZnTkhE97.png)
仕事台のそばに、
ふさぎこんで下を見つめていた
女の子がそれを見付けて、
思わず「あら。」と叫んだ。
父も喜んだ、子どもも喜んだ。
しかも一番喜んだのはねぢであった。
時計師は早速ピンセットで
ねぢをはさみ上げて、
大事そうにもとのふたガラスの中へ入れた。
そうして一つの懐中時計を出して
それをいじっていたが、
やがてピンセットでねぢをはさんで
機械の穴にさし込み、
小さなねぢ廻しでしっかりとしめた。
龍頭を廻すと、
今まで死んだようになつていた懐中時計が、
たちまち愉快そうに
カチカチと音を立て始めた。
![](https://assets.st-note.com/img/1718315602415-GMtsV2CEbH.png?width=800)
ねぢは、自分が此処に位置を占めたために、
この時計全体が
再び活動することが出来たのだと思うと、
うれしくてうれしくてたまらなかった。
時計師は仕上げた時計を
ちょっと耳に当ててから、
ガラス戸棚の中につり下げた。
一日おいて町長さんが来た。
「時計は直りましたか。」
![](https://assets.st-note.com/img/1718315602165-827rc1Hya3.png?width=800)
「直りました。
ねぢが一本痛んででいましたから、
取りかえて置きました。
具合の悪いのはその為でした。」
と言って渡した。
ねぢは、
「自分も本当に役に立っているのだ。」
と心から満足した。
このお話は明治時代~昭和初期に
小学校の教科書に載せられていたお話です。
このねじは小さな存在の自分が
一体何の役に立つのだろうかと
周りと比べて嘆いています。
しかし、
たった一つのこの小さいねじがなければ、
時計が動くことができませんでした。
その姿は、わたしたちの国、
日本に生きる一人一人の姿に重なります。
わたしたち一人一人も小さな存在ですが、
その一人が欠けることで、
全体が動かなくなってしまう
ことだってあります。
自分の価値は人と比較して
自分で決めるものではありません。
どんなに小さく、
何の役にも立っていないように思われても、
全体から見たときに
一人一人は、
大事な大事な存在なのだという人格教育が
昔の日本ではこのように成されていました。
個人主義を前面に出している
今の日本教育に足りないことを
教えてくれているように思います。
綺麗ごとではなく、
ひとりひとりがかけがえのない存在です。
その日本の素晴らしい人格教育を取り戻し、
美しい日本人精神を取り戻します。
![](https://assets.st-note.com/img/1718315662266-oBabpiLGIi.png?width=800)
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