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記録することで今を肯定する - 秘密結社「喫煙所」(第25通目)

この記事は、素直さと向き合おうとしているふたりが、答えのないことを問い続けていく文通マガジン『秘密結社「喫煙所」』の第25通目です。お互いの記事を読んで、文通のように言葉を紡いでいきます。

秘密結社「喫煙所」

ヒロさんへ

孤独を見つめて素直に書いた文章って、ほんとうにいいよね。惹きつけられる。それ言っちゃって大丈夫?と思われそうなものでも、わたしは書いてくれてありがとうと思う。変態だね。

より好みなのは感情的にならず淡々と書いたもの。感情の奥に隠れたその人の価値観に触れたものを綴った文章。書いたときに感情に流されてしまうと、淡々と書くのは意外と難しかったりするんだよね。

だから寝かせて掘って書き直したりする。自分の一部を削りながら書いているから、ヒロさんの「書いて剥がす」という喩えは、よくわかるなあ。

迷ったけど、やっぱりタオさんの「書く」に関することを聞いてみたい。インタビューにおける書くこと、普段の書くこと、そして書いたものを見せることについても聞きたい。てんこもりだけど、自由につらつらと書いてみてください〜

剥がれ落ちるように書きつける - 秘密結社「喫煙所」(第24通目)

同じ問いを返してくると思いました(笑)。問いに対する答えがものすごく長くて、考えながら書いているのもあって、まとまってないので章立てにしてみた。

インタビュー記事について

インタビュー記事は、わたしにはこう見えましたっていう相手の似顔絵を描いている感覚や相手の輪郭をなぞっている感覚はあるね。あと、インタビューに関しては自分のためもあるけど、お話をしてくれた相手と、相手の周辺の人と、わたしの周りの人の顔が思い浮かぶ。

顔が思い浮かぶ人たちに、見たもの、感じものを、立体的に伝えたい。写真もその役割を担っていると思う。自分がその人を見た色、形、空気、言葉を描きたい。なかなか思うようにいかないけど、今は相手が喜んでくれて誰かに伝わったら、それで十分かなと思う。

聞いて書いている側は、器として、そこにいるのがベストなのかもしれないって、色々見たり聞いたりして思った。このことに関しては、長くなるので別記事に書こうと思う(笑)。

日記について

一方、日記は完全に自分のためだね。誰のことも意識していない自分だけの空間。だからこそ、思っちゃったことを書ける。自分の声を聞ける素直な時間。ヒロさんも言ってたけど、素直な気持ちは時には曲げたくなったり、他者を意識して無かったことにしてしまうから、記録しておかないと自分がわからなくなる。

文章を書くって言っても、状況によって書くものが変わるのが、色々試したり、書いてみたりして少しずつ見えてくるのが、個人的におもしろい。書く場所、誰に向けたものなのか、メモのように書くのか、一息つきながら書くのか。

わたしの中でインタビュー記事と日記は対立するものというよりは、円の上で繋がっている感覚があって、両方書いてみることでそれぞれ活かせるところがあると思ってる。目の前のことを記録するという意味では同じものでもあるから。仕事になると、また別の話かもしれないけどね。仕事も趣味も循環してほしい(笑)。

なぜわざわざ書いて記録するのか

記録する媒体は書くこと以外にも、動画や音声があるはずなのに、なんでこんな効率の悪い書くことをやりたいのか自分でも不思議なのだけど、人の声を落とし込みやすいからなのかな、と今は思ってる。

映画だと主人公の内側の声は聞こえなくて、鑑賞者に委ねられる部分があるけど、小説は主人公の内側の声が描かれている部分が多かったり。書くことは効率悪いけど、想いは伝えやすく、残しやすい。文章だからこそ、まっすぐ伝わってくる何かがある。まだ答えは出てないけど、そうなふうに考えてる。

書いて見せるということ

人の視線が入らない場所で書いた文章は、孤独と向き合って素直な文章を書く上では大切なのかなと思う。楽しく文章を書き続けている人は、そこが起点になっている人が多い気がする。

わざわざそれを外に出すのは、「文章を通して語りかけたい」、言い換えたら「創作を通して語りかけたい」、「私自身(素直な自分)を通して語りかけたい」。ここで「語りかけたい」と言っているのは、「仮に受け取られなくてもいい」という意味で「語りかける」という言葉を使ってる。発信するとは、また違う。置いておくことに近い。wasei salonはそういう人多いんじゃないかな。

外に出すのは"ひらく"という行為で文章を対話に変えてみると、それがわかりやすいと思う。ヒロさん自身、どんどん対話の輪を広げていて、それが書いた物の見せ方に現れているんじゃないかと思った。前は見せなかったけど、今少し見せるようになったというところとか。わたしの勝手な解釈だけど。

さいごに

わたしには"どうしても伝えたいもの"がない。最初はあったかもしれないけど、今はそれよりも記録して置いておきたい。

もちろん、こうなったらいいなという理想や祈りはあるけど、絶対的なものではないというか。理想は持つけどしがみつかない。しがみつくことで今を否定したくないから。

そのくらいの距離感が今を受け入れて肯定していくことにも繋がっている。今を記録することで、今を肯定する。今を肯定できたら過去も未来も肯定し、受け入れられるんじゃないか。

そんな思いを持ちながら書き続ける。

美しいかあ。光や人以外だとしたらなんだろうな。

まだまだわからない。答えでてないからこんな長くわかりにくいものになってしまった〜。


【前回の問い】

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