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選択するときは孤独である - 秘密結社「喫煙所」(第14通目)
この記事は、素直さと向き合おうとしているふたりが、答えのないことを問い続けていく文通マガジン『秘密結社「喫煙所」』の第14通目です。お互いの記事を読んで、文通のように言葉を紡いでいきます。
まさかの問い返しが来て、そう来たかと思ったよ。一旦ノートにズラーっと思ったことを書いたけど、なんとまとまらないことか(笑)。
自分ひとりで選択できることってないのかな?
葛藤とも言えない、ふと疑問に思ったことだった。改めて考えると何とも言えないねこの問い(笑)。
選択は孤独な作業かもしれない。
自分のなかに答えらしきものがあるのに誰かに相談するのは、いろんな気持ちが混じってる。背中を押してもらいたい、人の意見を聞きたい、とかね。わたしもそういうときある。
でもいまは、自分のなかの答えを確かめるために話したいと思う。承認を求めるんじゃなくてね。相手から思わしくない返事が返ってきても、それに違和感を抱くのであれば、どうしてそう感じたのかに目を向けたり、どうして自分は相手の言葉をそう解釈したんだろう、というところと向き合いたい。そしたら自分のこうしたいが見えてきたりするから。
人の言葉を聞いて自分と対話するような。自分を見つめてみるような。人は自分の鏡ってよく言うけど、確かにそうなのかもしれない。ヒロさんも人の話を聞いているとき、自分と対話しているって言ってたよね。
自分や自分以外(本や人など)の何かと対話を始めると、どこをどう通っても孤独に行き着く。対話は孤独と繋がることでもある。
納得感のある選択をするには、その孤独を通る必要があって、孤独に他者の意見は介在しないような。それが答えを外に求めないということなのかなって、今の自分は思ってる。それが難しいときもあるけど、素直でいるためには大事なことだと思う。
でも、自分のなかの答えを確かめるために人に話したいと言っておいて、人から勇気をもらうことはいっぱいあるから、そこはちゃんと自覚したい。
なんかこうして書いてみると、これってヒロさんが前回記事に書いていたことことなんだよね。なんとなくだけど、ヒロさんが言ってた「自分の足で立つことは、ひとりでもないし、誰かと一緒でもないような気がする」の意味が今なら少しわかるような気がした。
「正しさ」を問い続けたいとは思ってる
「正しさを問い続けたい」ヒロさんの言葉を聞いて、わたしは正しさについて全然考えてこれてなかったな〜って思う。「正しいものはない」と自分のなかで結論づけてたからだと思う。合う合わないで考えることが多かった。合うものを取り入れたり、合わなくなって剥がしたり。他の人と違うけど合わないんだからしょーがないじゃん。って割り切ってた。
割り切れない何かって、その人のこだわりに近いような。それに苦しくなることもあるけど大事だと持ち続けることもあれば、手放すときもある。全然関係なくて、結論もないんだけど、そんなことを思いました。
今回はここまでに。
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最近はデジタルで書く前に手書きで書くことを初めてみたけど、すごくいい感じだった。同時に、こんなまとまらないままデジタルでいきなり書いてたんだと、思い知らされた(笑)。心地よいペースを模索するはずがセカセカしてたなって思った。ゆっくりまたやってこうと思う。
【前回の問い】
【問いに対するアンサー】
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