わたしについて④ 我が子育ての序章 ~始まりの前に~
我が人生での最大の学びは
今この時点では
「子育て」だと感じています。
ありがたいことに
3人の子どもに恵まれました。
結婚してすぐに授かった命を
一度、空にお返しています。
その後、一人目を
この手に抱くまでの数年間
できることは全てやり尽くしても
一向に授からないという
身体的にも精神的にも
とてもつらい時期がありました。
「あとは体外受精だけですね…」
Dr.(ドクター)にそう告げられました。
その当時、一番の親友が命を授かり
喜ばしい、嬉しい気持ちの反面
心の奥で怒りや嫉妬、悲しみが湧いてくる
自分はそんな
ドス黒い人間だったのか…。
周囲には言えない
複雑な想いと闘いながら
自分を責め続ける毎日でした。
主人にも若干の原因めいたものは
あったものの
当時わたしにはざっと挙げても
「子宮内膜症」「卵管狭窄症」
「卵巣嚢(のう)腫」
(チョコレート嚢腫)
極度の冷え性や腰痛、低血圧
これら複数の病態や不調がありました。
これらを少しでも改善に向け
妊娠につながるように
ホルモン剤を投与して
生理を長期間止めたり
排卵誘発剤を毎月注射したり
通風や通水で卵管を広げる治療をしたり
仕事をフルタイムでこなしながら
これらを3年ほど続けていました。
評判が良い婦人科があると聞き
車で片道2時間ほどの病院まで
通った時期もあります。
妊娠できない理由の一つ目は
これらわたしの
身体的要因
更に、これらの身体的不調に加え
嫁ぎ先の世襲事情で
避けることができなかった
跡取り問題からくる周囲の期待と
とてつもない精神的重圧
そして
仕事と不妊治療を
両立させなければならないという
耐えがたい精神面でのストレス
これらの
精神的な要因
が2つ目の大きな理由でした。
「最終手段」と
ドクターから告げられた体外受精ですが
今と違い助成などももちろんなく
体外受精ができる病院は
全国でも数えるほど
更に治療費も当時
1クール約30万円~50万円などと
かなり高額でした。
時間的にも金銭的にも心身の面でも
すぐには決断はできませんでした。
しかし、最終的には体外受精ではなく
3人とも自然妊娠でわたしのもとへ
きてくれました。
なので、一人目を授かり
無事この手に我が子を抱いた瞬間は
言葉にならない感動と感謝
幸福感に包まれました。
『命を授かる』という
我がこととして体験する以前は
ある意味「あたりまえ」とも
認識していたこの事象は、実は
人の叡智を超えた
ところにあったのだ
と痛感しました。
実はその後談もあり
2人目では切迫早産で6か月の安静
2人目と3人目の間で
卵巣破裂の恐れがあるとの診断で
卵巣の一部摘出手術をしています。
これらを乗り越えて
我が子どもたちとの今があります。
以前こちらの記事でもお伝えしましたが
これらが我が子たちを
天からの
「授かりもの」「預かりもの」
だと感じる理由です。
これを述べさせていただいた上で
今後は我が子たちの子育てについても
追々触れていきたいと考えています。
だいぶ長くなってしまいました。
今日も最後までお読みいただき
本当に、本当にありがとうございました🍀
皆さまのおかげでつまずきながらも
なんとか記事の更新が進んでおります。
心より感謝申し上げます✨
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