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#14 『地方』というファッション

2023年4月某日

最近、『地方創生』や『地域活性化』みたいな営みは、コモディティ化しているのではないかと感じる。決して、当事者としてニヒリズムに陥っているわけではない。おそらく、地方創生やまちづくりに関する営みが、ほんの少しだけ、ファッションとしての『おしゃれさ』を纏いつつある状況に、戸惑っているのだと思う。

筆者は、リーマンショック直後に就職活動し、紆余曲折を経て、現在では地域経済を調べたり、まちづくり事業の企画をしたりすることを仕事にしている。今でこそ、『地域活性化に取り組んでます』みたいなことを言うと、『面白そうですね』とか『大切なことですね』といったポジティブな反応が返ってくる。しかし、2010年頃は、『総合商社のグローバルな仕事』や『大手メーカーのビッグプロジェクト』などと比べると、正直ダサくてイモい仕事と捉えられていたと思う。その中で、虚無感や嫉妬心を感じながら、なんとなく仕事を続けてきたら、時代がめぐり『ローカルのかっこよさ』みたいなところに光があたるようになってきた(『ネオ・ローカリズム』とか言うらしい)。結果、大企業の出世競争から降りて地方で活動を始める人や、地域政策においてもグローバル企業と協調しながら、新しい理論やテクノロジーを活用する動きも増えてきた。これは、とても喜ばしいことであるし、何より学びが多く、うれしい。

しかしながら、『地方創生』『地域活性化』のようなキーワードが盛り上がる一方で、実際に創生したり、根本的な問題が解決されたとされる地方はほぼ無いといっても過言ではない。むしろ、『地方でかっこよく、楽しく働ける』環境を得た私たちは、ライフスタイルを地方的にマイナーチェンジして、『都会的に、地方で働く』ことを選択しているに過ぎないとも言える(おしゃれのトレンドが変わっただけなのだ)。結果、結婚したり、子供を生み育てるといった、地域活性化の根本的な問題の深部には未だ触れずにいて、それ以外の回りくどい道から課題解決に取り組もうとしている。『人口を増やす』という、圧倒的に解決困難な問題について真正面から向き合うことは怖く、『関係人口』とか『兼業・副業による労働力人口の擬似的確保』とかよくわからないコンセプトを持ち出して、のらりくらりやっているのが現実だ。

こんな感じで、日々地方の中で『何かできないか』と考える営みは、人口という本質的問題の根治治療を目指すものとは縁遠いが、少なからず良い点もある。例えば、副産物として『楽しい』というエンタメを生み出していることは小さくない価値であろう。古い商店街を練り歩き、地図を見ながら小さなカフェをつくって、身内の仲間だけてゆるりと営み、語り合う。一市民である自分の発案や行動がまちに具体的変化を与えたり、一流デザイナーにはなれなかったけど、きれいなチラシを制作してものすごく尊敬されたり。そういう小さな『誉れ(ほまれ)』は、多くの人の気持ちを前向きにし、ウェルビーイングを高めているだろう。その先にある『何か起きろっ!』という楽観主義が、本当に地方を変える別解を提示するのかもしれない。

ほなら。

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