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四法印(しほういん)


四法印とは


四法印とは

四法印とはお釈迦様の説かれた教えの中で

最も重要なものです。

この理解が出来ていないと、

これ以降の解釈も中途半端なものになると言えます。

四法印の教えを、
『そりゃそうでしょ』
『まあよくある話だよね』と言う次元で

済まさずに深く理解をする事で、

人生を穏やかに過ごす為の道へ進める第一歩だと考えます。


◇諸行無常(しょぎょうむじょう)◇


諸行無常の教え

諸行無常とは、すべての存在や現象が絶えず変化し、

常に同じ状態に留まることがないという教えです。

これには物質的なもの(身体や物体)だけでなく、

心の状態や感情も含まれます。

●コップ一杯の水
倒したり、コップを傾け水を流さなければ、
水はその姿を保っている様に見えます。
しかし刻一刻と蒸発し液体から気体へと変化しています。

●新築の一軒家
念願のマイホームとして建てた一軒家。
月日が経つと劣化していく事は分かりますが、
これもまたその瞬間瞬間で目に見えないレベルでも変化しています。
ある一定期間を過ぎれば一気に劣化するのではありません。
毎秒ごとの積み重ねで劣化していくものです。

●心配事
仕事や恋愛などで心配する様な気持ちが芽生えた。
しかしその心配事は解決するかは別として、
その瞬間に抱いた心配レベルは変化します。


この様に物質的なモノ、感情の部分、あらゆるモノは
永遠と変わらぬ存在ではなく、
逆に常に変化し続けていると言えます。

この教えを理解することで、

私達は困難な状況に見舞われた時、

感情的になってしまいますが、

すべてが一時的であることを知り、

感情的な揺れ動きに過度に囚われない心を養うことができます。

不幸な事が起きても、

それは変化していくものであり、

永遠に続くものではありません。

また、成功や幸福も永遠ではないことを知ることで、

うぬぼれて、傲慢な態度を取ってしまう事を防ぎ、

謙虚で調和の取れた生活を送ることが奨励されます。

◇諸法無我(しょほうむが)◇


諸法無我の教え

諸法無我とは、すべての現象には独立した実体がないという教えです。

私たちは一般的に「自分」や「他人」といった

固定的な存在があると信じがちですが、

この「我」という概念が幻想に過ぎないと説かれます。

すべてのものは相互依存的に存在し、

独立して存在するものはありません。

●『車(くるま)』
この世に車という独立した存在がある様に感じます。
何故なら家を出ればビュンビュン車が走っています。
目に見えて分かるレベルに車は車だと感じてしまいます。

しかし車は独立したものではなく、
ハンドル、エンジン、シート等々を集めた状態のものを指し、
車というものは別のモノの集合体を呼んでいるに過ぎません。


●自分、私、俺、僕・・・
自分は自分であって他の何者でもない。
そう思ってしまっても不思議ではありません。

しかし我々人間も1人の個体の様に見えて、
約60兆個の細胞で出来ていると言われており、
腸内細菌など必要な生命を含めて、
数えきれない程の集合体でもあります。

また人間は1人で生きていけません。

身の回りの物、食事、娯楽、居住空間など、
あらゆるものを世の中から与えられて生きています。

もっと言えばそれらも太陽や水と言った自然の力をエネルギーにして使用しています。

自分自身は自分のものかと言えば、
厳密に言うと独立しているものではありません。

諸法無我の教えを深く理解することにより、

他者との対立や葛藤が減り、

自己のエゴに囚われずに、

より広い視野で物事を見ることができます。

すべてが相互に関係していることを認識し、

他人への思いやりを持つ生活を心がけることが求められます。


◇一切皆苦(いっさいかいく)◇


一切皆苦の教え

一切皆苦とは、

人生のすべての側面には苦しみが伴うという真理を示しています。

生老病死(しょうろうびょうし)、

すなわち生まれること、

老いること、病気になること、そして死ぬこと、

これらはすべて避けることのできない苦しみです。

また、愛するものを失うこと、

手に入れたいものが得られないこと、

嫌なことに直面することも苦しみの一部です。
※四苦八苦と言う※

この苦しみの認識こそが、仏教の教えの出発点となります。


しかし、苦しみを理解し、

その原因(煩悩)を取り除くことで、

苦しみから解放される道が示されているのです。


一切皆苦を理解することで、

私たちは苦しみが人生の一部であることを受け入れ、

冷静に対処する力を養うことができます。

この認識により、困難な状況に直面しても、

その苦しみを避けることではなく、

受け入れ乗り越えるための知恵と忍耐を学ぶことができます。


◇涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)◇


涅槃寂静の教え

涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)とは、

基本的には一切皆苦が人間であり、

その苦の根源は煩悩(欲)であると教えられます。


では救いようがないのかと言えば、それは違い、

涅槃寂静と言い、

しかし、すべての煩悩(迷いや執着)が消滅し、

心が完全に静まり、安らぎを得る状態を指します。


これは仏教における最終的な目標であり、

悟りの境地です。

煩悩(欲)から解放された人は、

苦しみからも解放され、

完全な平和を体験することができるとされています。

しかしこれがなかなか簡単ではありません。

何かを信じれば苦しみが無くなるというようなものではなく、

自分自身の考え方を変える必要があります。

そしてその為には行動も変える必要があり、

何かが救ってくれるという要素はありません。

これが原始仏教としてお釈迦様が辿り着かれた境地なのです。


これらの四法印を理解する事なく、

人生に心の平安をもたらす事は出来ないものです。

全ては変化していくものであり、
不変的に変わらぬものはなく、

それらすべてに独立した実体はありません。
全ては相互依存によって成り立っており、

これらの理解が乏しい事からも欲が生まれ、

人生を苦に感じるものです。

しかし全てを理解した時には、

一切皆苦とは真逆の安らぎの世界があるという事です。


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