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まったくのシロウトが、28歳で野球をはじめたらどうなった?

 親から買い与えられた巨人帽を拒否して近鉄帽をかぶっていた私は、野球が大嫌いだった。決して運動神経がよい方ではなかった小学生の私は、野球が上手いほど偉いというクラスの空気に馴染めずにいたが、野球の誘いを拒むほど自分を貫いてもいなかった。放課後、校庭に残っては友達と野球をし、9番ライトをウンザリした顔で担当していた。

 家に帰れば父親が巨人戦の中継を見るためにテレビを独占。当時家には一台しかテレビがなく、当然私が楽しみにしていたアニメやバラエティ番組はおあずけ。でも我が家には食事はかならず家族一緒にとるという厳格なルールがあったので、ワーワー言ってるテレビの画面には目もくれず、ただテーブルのおかずとご飯を交互に見ていた。

 日本人って、なんでそこまで野球が好きなんだよ。そんな納得のいかない毎日が続いていた高校生のある日、やっと私は前向きな気づきにぶち当たる。
「どこか好きなチームを作れば、この退屈なプロ野球中継も楽しくなるんじゃ?」

 大嫌いなプロ野球は、私には「イコール巨人」という刷り込みがあった。私の好きなテレビ番組を、理不尽な威厳とやらで鉄壁ガードしていた父親は巨人ファンだった。
「よし、巨人に強いチームのファンになろう」
という、反骨心まる出しの決心をしたその日、巨人に勝ったチームが中日ドラゴンズだった。

 ときは1988年、中日ドラゴンズは星野仙一さんが監督になって2年目。「ミラクルドラゴンズ」と呼ばれ、連夜のように劇的なサヨナラ勝ちをおさめながら、なんとその年中日は優勝してしまう。その秋の修学旅行で、ちょうど西武ライオンズとの日本シリーズ第1戦がナゴヤ球場でプレイボールしたその横を、新幹線で通り過ぎたのをよく覚えている。この日本シリーズは中日が惨敗してしまうのだが、とても感情移入が激しい性格の私は、すっかり本当の中日ファンになってしまった。それからの私は、なんと自発的にプロ野球を見るようになった。中日戦のテレビ中継がないときは、自室の中で所定の位置でのみかすかに入る東海ラジオの中継を聞いたりもした。投手の投げる1球、打者のひと振りを固唾を飲んで見守る熱狂的なファンになっていったのだ。

 そんな日々は大学に進み、社会に出てからも続いた。ときはさらに流れて、ついにアラサーとなった私は、毎週末仲のいい先輩と夜の街に繰り出す夜遊び人間になっていた。浴びるように飲むビールと絶え間なく注文するおつまみで体のラインが気になり始め、運動不足を痛感していた頃、私が手に入れたのは初めてのパソコン、iMac。インターネットというものを自宅に導入し、ダイヤルアップ接続でネットサーフィンを楽しんでいたときに目に飛び込んできたのが、Yahoo!掲示板に立っていたひとつのスレッド「素人だけで野球チームをつくろう」だった。

 こんなに野球が好きなのだ、「自分が野球をする」という考えが何度か頭をもたげたことはあった。しかし、中学生の頃はバスケ部、高校生は帰宅部だった私に、オッケーバッチコーイな元野球部員たちと一緒に野球ができるはずがない。だって、めちゃくちゃおっかない。エラーとかしたら何をされるかわからない。だから自分が野球を始めるのは無理だと思ってたのだが、当時流行り始めていたインターネットは、「野球好きなシロウトだけでチームをつくる」という、そんな無理めな希望を持った人間たちを繋ぐという奇跡を起こしたのだ。

 28歳の私は、毎週土曜日は夜の街で飲み歩くという生活に別れを告げ、ベースボールマンとして生まれ変わった。

 それがまさか。

 それからほぼ毎週、20年以上も続けることになるとは思わなかった!

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 チームメンバーは年下から年上まで幅広く、大学生から一流企業のビジネスマンに建設会社の社長、中にはピアニストやプロボクサーなんて変わり者もいたっけ。チームに入ってくる人、生活環境が変わって辞めていく人、多くの人たちとめぐり合った中で、今だに残っている創立メンバーも数人いる。シロウトな我々は、最初はとにかく見よう見真似で練習をしまくり、朝5時から夕方5時まで12時間練習したこともある。練習の途中で雨が降ってきてもやめず、土砂降りの中、外野にいる人間が雨に煙って見えないのに外野ノックの打球を打ち続けたこともある。これは誰かが無理やりやらせていたのではなく、この猛練習を楽しむ空気が自然と発生していたのだから不思議だ。試合ではボロクソに負けることがほとんどだったが、たまに勝ったときにはヒーローの胴上げが始まることもあった。

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 もちろん怪我をすることもあった。中には肩の手術を3回もした強者もいるが、もうそこまでいったらメンタルはプロ野球選手並みなんじゃないかな。私も肘を痛めてリハビリに通ったり、右手の骨折やアキレス腱の炎症で歩けなくなったり、まあよく怪我をした。平日、仕事で出会った人が右手に包帯を巻いた私を見て不思議がり、「野球で怪我したんです」と告白すると、なぜかとてもいい笑顔でやさしく接してくれるようになった。自分で言うのもなんだが、何かに熱中して怪我までしちゃう大人が、かわいく見えてしまったのではないかと思う。私もいつも、怪我をして復帰するメンバーを迎えると、「バカだなぁ」と愛おしくてたまらなくなるから。

 まあ、お酒に関しては飲む相手が変わっただけというか、野球チームの仲間と毎週しこたま飲むことになるのだが、話の内容は9割以上がその日の野球。練習や試合が終わってから、夕方5時から朝の5時まで、野球の話だけで延々と飲み続けることもよくあった。もちろん、はたから見たらケンカとしか思えない激しい議論も日常茶飯事。喜んだり怒ったり、悔しがったり落ち込んだり、そして何より励ましあって、野球が大好きな素人たちが、真剣に野球に取り組んでいた。

 そしていずれ、私たちは神奈川県座間市の野球協会が主催する大会において、60チーム以上が参加するトーナメントで優勝することになるのだが、その話は長くなるのでまたの機会に。


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