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対話における『2つの解釈』について 【対話力 #11】

今回は「再構成力」のなかでも「解釈」という部分にがっつり焦点をあて、いろいろ考えてみたい。


と言いながら、いきなり余談なのだが、私の座右の銘は


真実は存在しない
解釈だけが存在する


というものである。

これはニーチェの言葉というか「ニーチェの思想」らしいのだが、そもそも世の中に「絶対的な真実」なんてものは存在せず、すべては「誰かの解釈」でしかない。そんな意味合いの言葉である。


たとえば、ある人が「昨日、宇宙人と話をした」というエピソードを大真面目に語ったとしよう。

そんな話を聞かされたら、きっと多くの人が「そんなはずはない」「嘘か、妄想に決まっている」と思うだろう。

ほとんどの人が「宇宙人と話す = 真実ではない」と思っているからだ。もちろん私だって、心の奥底では同じように思ってしまう。


しかし、ここに対話者として大きな落とし穴がある。

というのも、「宇宙人と話したなんて嘘に決まってる!」というのは、裏を返せば「宇宙人と話していない、というのが真実である」と決めつけているのと同じだからである。すなわち


● 話し手の側に「真実」はなく、

● 自分の側に「真実」がある


というスタンスで話を聞いていることになる。

宇宙人のケースは極端かもしれないが、こんなパターンはどうだろう。


私は知識も経験も豊富で、リーダーの資質も十分なのに、今回のプロジェクトリーダーに選ばれたのは同僚のAさんだった。
Aさんはお調子者で、みんなに人気があるだけで、実力的にはあきらかに自分の方が上。
上司のXさんも、Aさんのことがお気に入りだから、個人的な好みでリーダーに選んだんだと思う。
そんなバカばっかりの会社で、本当にイヤになる・・・


この話を聞いて、あなたはどう思うだろうか。
この話し手に対し、たとえば次のような思い、疑念が浮かんだ人はいないだろうか。


● この人は、自分の知識や経験、リーダーの資質を過大評価しているのではないか・・・

● Aさんがお調子者と言うけれど、じつはみんなとのコミュニケーションを大事にすることで、信頼を得たり、みんなのモチベーションを高めたりしているのではないか・・・

● 上司のXさんは、そんなAさんの資質を見抜いて、プロジェクトリーダーに指名したのではないだろうか・・・


決しておかしな解釈ではないし、この話し手の人柄や性格を目の前で感じて

「ちょっと自分本位なところがある・・・」
「不平・不満が多いタイプだ・・・」

なんて感じていたら、なおさら「こちらが感じていることの方が真実に近いんじゃないか」と思ってしまうだろう。

しかし、場合はどうあれ、それこそが「自分の解釈=真実」「相手の解釈=真実ではない」という構図なのだ。

宇宙人の話にしろ、プロジェクトリーダーの件にしろ、現実的に考えれば「そんなことはあり得ない!」「ちょっと違うんじゃないか・・・」と感じることはもちろんある。話し手の「勝手な思い込み」であったり、「都合のいい解釈」「歪んだ価値観」ということだって、当然あるだろう。


それでもなお、それが「相手の解釈」(その人にとっての真実、正義、正しさ)であるならば、それはそれとして、まずは「同じ重さ」で受け止める。

そんな徹底したスタンスが対話者には必要なのだと私は考えている。


そもそも対話には、



●  相手の解釈(相手が言いたいこと、相手にとっての真実)と

● こちらの解釈(こちらが感じたこと、こちらの受け止め方)


という「2種類の解釈」が存在している。

もちろん対話者はこの2つをきちんと切り分けて考えなければならないし、間違いなく最初にやるべきは


相手の解釈を正しく理解する


ということだ。

仮にそれが「自分の解釈」とまるっきり異なっていようが、奇想天外で信じるに値しない話だろうが、とにかく「相手の解釈」「主張」「正義」を正しく理解する。

「相手の解釈」をきちんと理解していないのに、「あなたの話を聞いていると、こんなふうに感じるんだけど・・・」なんてこちらの解釈を話し始めたら、それこそ対話はうまくいかない。

何よりもまず「相手の解釈」を理解すること。
そして、こちらが「理解していること」を相手に伝え返しつつ、その精度を確認すること。


この段階を踏んだ上で、(必要とあらば)「自分の解釈」を相手に伝えるというフェーズに到るのだ。

この順番と精度は、対話者として非常に重要な要素であり、能力だと私は思っている。


「相手の言いたいこと」(すなわち解釈)と「こちらの解釈」に救いがたいほどの開きがあったって、それはそれで構わない。

むしろ、その違いを確認し、必要ならば、その差を埋めていこうというのがそもそも対話というものだ。


しかし、だからこそ「 “どちらの解釈がより真実に近いか” なんて優劣は存在しない」というフェアで、フラットな大前提が必要なのだ。

「真実」「正しさ」「正義」なんてものはそもそも存在せず、ただ十人十色の「同じ重さの解釈」が存在するだけに過ぎない。
まさに〝真実は存在しない、解釈だけが存在する〟である。


どんな場面でも、そこにあるのは「十人十色の、同じ重さの、固有の解釈」なのだから、まずは対話者として「相手の解釈」を正しく理解することに努める。


対話というのはそこから始まるのだと、私は思っている。



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