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【第9話】withコロナ時代の価値観のキーワードは「サスティナビリティ」の意味

withコロナの価値観はキーワードは「サスティナビリティ」ということを言う人が増えてきている。僕もその一人。「人や地球、つまり、社会が持続可能な成長や発展を遂げていくことを前提に、すべての営みを設計・計画・実行するけと」がサスティナビリティのテーマだ。

コロナで時計の針が一気に進んだ。ということは、「本質的な価値観だけにそぎ落とされていく」ということだと思う。たとえば、人は死に瀕した時に、何のための人生か?自分の命は何に注ぐべきか?など、本質的な自問自答をして、自分らしい墓場を決めて生きるようになったりすることがある。そんな感じなんだろう。人が人らしく、自分が自分らしく、社会価値に貢献して、未来の子供たちに、理想的な社会や地球をバトンたっちしていく。それが僕なりの解釈だ。

時計の針が一気に進み、本質的なことにそぎ落とされた時に、「人は人らしく生きたい。人は人らしく死んできたい。」ロジカルシンキングを超越した本能的な直感を感じるのだろう。

「サスティナビリティ」これは、多くの日本人にとって、最近、長くても数年前から認識されてきた言葉や意味なんだと思う。僕はたまたまラッキーなことに、今から30年ほど前にフランスで独り暮らしをしていた頃に、この言葉に出会った。サスティナビリティ、サスティナブル、エシカル、、、といった価値観は、ヨーロッパではかなり前から、少なくとも100年以上前からあるんじゃないかな、、という感じだ。

たとえば、凄く身近なところで、「星の王子さま」で有名なサン=テグジュペリの名言の中にも、そういうのがある。

地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ。

これは、「今、僕たちが生きている地球を未来の子供たちに健全な形でバトンタッチしていかなければいけない」ということで、持続可能性の話をしている。僕のようなミーハーな人間がたまたま出会い好きになったサン=テグジュペリでさえそうだったのだから、ドイツ、フランス、イタリア、、、など、ヨーロッパの哲学者の本には、さらにたくさんのサスティナビリティが散在している。

先日の放送されたNHKスペシャルの「ウィズ・コロナ時代_をどう生き抜く」という番組の中で、名だたる経済学者や経営学者が異口同音に、withコロナ時代の価値観と経済は、サスティナビリティーの考え方が主流で、それを軸にしていかないと発展していくことは不可能だ」ということを言っている。「短期的な採算性を追い求める時代は終わり、長期的な社会価値への貢献が一層重要になっていく。」「持続可能な知的な経済成長の仕組みづくりが重要だ。」「効率性を追求した資本主義の在り方・行き過ぎを見直す時が来た。」という内容だった。

それは、平たく言えば、「ひとりひとりが自分自身の存在意義を感じながら、自分らしく幸せに生きながら、社会・経済も長期的に成長していく。それが長続きするための社会をつくっていくためのエンジンとしての経済」ということなんだと、僕なりに翻訳している。

したがって、ひとりひとりが、その人ならではの存在意義を感じられることや「意味がある」っていうことが大切ということなのだろう。敬愛する山口周さんが著書「ニュータイプの時代」で表現している世界観に近い。

約30年前にフランスで独り暮らしをしていた時、フランス人の友達にも、スイス人の友達にも、オランダ人の友達にも、彼らのご両親にも、当時の日本人の働き方に関して良く質問されたり、びっくりされたりしていた。新聞やテレビで、日本人の仕事の仕方・働き方が、皮肉な感じの笑いネタとして、しばしば取り上げられていたからだ。大体が、朝7時に起きて、満員電車にのり会社に行き、9時から20時か21時まで仕事をして、混雑した電車に乗って帰宅して、家では疲れてるから、早々に風呂に入って寝てしまう、、とった感じだ。

彼らからされる質問はこんな感じだった。「日本人は、よくもあそこまで仕事人間になれるわね~」「日本人は何のために生きてるの?」「日本人は働きアリみたいね。」「仕事の話以外にどんな会話があるの?」「そんなに働かなくても経済はまわっていくのに。」「人生の楽しみっていうのはあるの?」「旅に出るときに、目的地に辿り着く過程は楽しまないの?」

彼ら彼女たちが言いたかったことは、そんなにあくせく働かなくても経済は回るし、成長もしていくのに、、、。といったことだった。そして、仕事づくしの人生なんて、長続きしないわよ。っていうことだった。そういう彼ら彼女たちにとって大切なことは、「長続きする」「好きでい続けられる」ということだった。「ムリはやめる、ムダは捨てる。シンプルに生きる」そんな生き方・価値観だった。

そんな彼らも、実は、仕事をする人は、年がら年中仕事をしているように見える人もいた。でも、実際はそうでもなかった。ある時、「彼らは、趣味のように好きなことを仕事にしているんだ」ということに気づいた。もちろん、「作業員」のような仕事をしていた人は、9時から17時までしか仕事をすることはなかったが、プロフェッショナルとして仕事をしていた人は、年がら年中、仕事の関係のあるようなことをしたり、そういう仲間と食事をしていたりしていた。今風に言うと「ワークライフブレンド」ということなんだろう。「好きだから長続きする。好きだから幸せ」といった感じだ。

サスティナビリティという価値観の時代は、専門性の高い人同士が、距離や時間や年代を超えてつながり、質の高いアウトプットが生み出されていく時代になるだろう。何かが大好きでたまらない人と、また何かが好きでたまらない人たちが、ひとつの目的や社会的意味のために結合されていくのだから。長きにわたり専門性を追求できる。自分自身の本能に近い欲求ととものそうしたいと思えるものに出会った人が一番幸せになれるのかもしれない。時間を惜しみなく注げることに出会えた人が幸せになれるのかもしれない。それが社会的意味へ貢献でいるようなことになれば、なおさらだ。

長きにわたり人が人らしく幸せになることに不可欠なこと。そこに向かって、いろいろなことがどんどんそぎ落とされていく。今、目の前にあること、今、目の前で起こっていること、それが本質的に必要なことなのか?自分自身の良心や素の心で見てみれば、本当はみんなわかっていることなのかもしれない。小手先の小利口なアジャイルな感じで仕事や事業や経営をしても、その繁栄は長続きしない。どんどん、その期間は短くなり、近々、そういう発想でいると、世の中からそっぽ向かれるようになる。

「サスティナビリティ」の本質は、そこにある。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。♡をくださる人がいると嬉しくなります。マーケティングやブランディングの仕事をしていると、本当にこういった世の中の空気をとらえていることが本当に大切ですよね。僕自身、この3年間で11社のミッションステートメントを創らせていただいていますが、そのうち6社のミッションステートメントを創るときは、このサスティナビリティの価値観を強く意識して、各社なりの翻訳をして取り入れています。皆さんのご参考になれば嬉しいです。そして、もし共感・共鳴していただけるようでしたらチェアなどしていただけると嬉しいです。引き続きよろしくお願い申し上げます。

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