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僕が立ち直るまで その4 毒になる親

毒親って聞いたことあるだろうか?
最近はよくネットとかでも出てくるワードだ。
僕はその言葉を、読んでいた本で知った。
そこで、毒親についても調べる必要があると思い、ある本を読んだ。

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ここに毒親について色々書いてあった。
なんかAmazonで見てたらこの本が一番スタンダードみたいだったし、
このスーザンフォワードさんが毒になる親と言う言葉を提唱したようだ。

毒親は以下のような分類分けができるそう。

・神様のような親
 →親が絶対的に正しく、子供が言いなりにしなくてはいけない形の関係

・義務を果たさない親
 →親として子供の健康を気にすることや、じゅうぶんな衣食住を与えない

・コントロールする親
 →「あなたのためを思っている」と言いながら、子供に過干渉する

・アルコール中毒の親
 →そのまま

・残酷な言葉で傷つける親
 →身体的特徴/知能/能力/人間としての価値について日常的にかつ執拗に、ひどい          言葉で攻撃を加える

・暴力を振るう親
 →身体的虐待

・性的な行為をする親
 →性的虐待


僕の親は神様のような存在で、僕をコントロールしていた親だと思う。

とにかく、父親が神様だった。
母親は父親の言うことに逆らうことはなく、何かにつけて、
「お父さんの言うことをききなさい」
「お父さんはあなたのことを思っているのよ」
「お父さんに逆らうなんて、ダメ」

これがうちの家庭の常識だった。

ご飯は必ず一緒に食べないとキレる。
NHK以外の番組を見たいというとキレる。
朝起きるのが遅いとキレる。
成績が悪いとキレる。
成績というと、僕は勉強はできないほうだった。
親が大学に行けせたいから家庭教師をつけて、勉強した。
実際そのあとは自分で勉強して、一般入試で合格した。
勉強するまでは通らない偏差値だったけど、受かった。
これに関しては、自分ではよくやったと思ったけど、父親は褒めない。
嫌味っぽく、「〇〇くん受かってよかったですねー」とか言ってたと思う。

それから、毎年毎年「来年も大学行きますか?学費はお父さんが払うから」
こんなことを言っていたような気がする。

それから就職活動を始める頃になった。
しかし、僕の親は就職先をもう決めてきていた。
おじさんの会社に相談役できている人のコネで病院の事務職。
とにかく転勤がないし、安定しているから。それだけの理由。
ずっと近くに置いておきたかったんだろうと思う。
でも、結果そ子には就職できなくなった。
僕はそこがあるから就職活動しなくていいと言われていたので、
一切していない。
ギリギリで就職活動を始めたのだ。
でもまあなんとか受かったので、そこへ就職。
その後転職をする分けだが、そのことはまた書くことにする。



とにかく父親が神だったんだな。
僕は父親に逆らうことは許されない。

でも小さ頃、頑張って逆らったこともあった。
そうすると、無視。ゲーム機とか隠される。
遊びにも連れて行ってくれない。
だから、父親には逆らえない。
逆らうことは、僕が家庭で楽しく過ごすことの妨げになるから・・・

とにかく条件付きの愛情なんだと最近気づいた。
親は子供にとって無条件の愛情を注ぐ存在であるべきだと思う。
何があっても、世界の人口の99%が否定しても、親は子供を肯定する。
これがあるから、子供は親のことを安全基地だと思い、外で活発に活動し、
いろんなことにチャレンジする心を育むのだと思う。

それがなかった。
親の顔色を伺い、親の言うことを聞くことが僕にとっての正解。
それがうまく生きていくコツ。
当時はとにかく逆らわないようにしていた。
だから、親の言いなり。
自分の考えなんて出せない。
だから反抗期もなし。
親が全て決めるのに疑いもせず、何も決めないで育ってきた。
だから失敗も少ない。
だから失敗が怖い。
つまり、チャレンジできない。
行動できない。

これが大人になってから苦しんだこと。


母親は、過干渉。
とにかく、何かにつけて干渉してくる。
電話してれば、「誰と話してたの?」
食事をしていれば、ずっと僕の方見てくるし。
めっちゃ食べにくい。
食べ方にも口を出してくる。
例えば、味噌汁を飲んだあと、ご飯を食べる。
そこで魚を食べる。
すると、「サラダは食べないの?いらないの?」
いやいや、このあと食べるし。口はひとつしかないし。
好きに食べてもいいじゃん・・・
そんなに口を出すのにも関わらず、ご飯を食べるのが遅いと、
「片付けが遅くなるじゃん、早くしてよ」
完全にペースを決められていた。

僕の部屋にもいつも入ってくる。
一人の部屋があるから、一人で居たいのに入ってくる。

とにかく構わないでほしかった。

そして、母親はうつ病。
その病気の事は当時知らなかった。
だから、母親がたまに寝込んで仕事休む時は、なんで休むのかわからなかったし、どう接すればいいかわからなかった。
そこでも父親は、母親を怒鳴りつけていて。
「いい加減にしろ!」
「いつまで寝てんだ!」
こんな言葉を浴びせ続けていた。
キレてる父親に話しかけることはできなくて、僕はただ黙っていた。
その時はまだおばあちゃんが存命だったけど、おばあちゃんも母親のことを被念していたな。これに関しては母親はかわいそうだと今なら思える。

しかし、こんな家庭なのに、世間体は抜群にいい。
僕の両親は同じ町出身で同じ町役場で働いていた同士の結婚。
お互いのことを知っている知人はたくさん。
というか、町で知らない人はいないんじゃないかと言うぐらい知り合いだらけ。
行事ごとも多い。
それには父親は必ず参加して、皆から慕われていた。
その父親の子供ということで、僕はどこへ行っても〇〇さんの息子さんという形で認識されていたし、そう言われてきた。

世間にどう見られるかどうかというのが親たちの基準だと思う。
僕のことを思っているという姿勢は見せつつ、実は世間体を重要視。
身を挺して子供のことを考えるというのは感じなかった。



やっぱ、僕の両親は毒親だと思う。
このnote書いていても改めて思った。




僕は大学促業して一社目で5年勤め、それから転職して、転勤族となり、
親とは離れることになるが、離れていても毒親はつきまとった。

今は、完全に連絡をとっていないのでだいぶ解放されたが、
それにはきっかけがあったからだ。


手紙が来たのだ。
このことはまた書くことにする。







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