今、たくさんの人に読んでほしい、大切な本。『イジェアウェレへ:フェミニスト宣言、15の提案』チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(エシカル100考、31/100)
尊い。
この本が尊すぎて、夜中に興奮気味に一気読みしてから感想を書こうとして手が震え、一週間が過ぎてしまった。まとめられない。
だから、皆さん読んで!共感して内省して!
プレゼントにも最適で、深い青とオレンジという装丁がお洒落。
以上で終了、あとは蛇足として。
ナイジェリアの作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『イジェアウェレへフェミニスト宣言、15の提案』(河出書房新社)。
前作?の『男も女もみんなフェミニストじゃなきゃ』も膝を打ってうなずくところの多い良著だったけど、それをはるかに凌駕してる。
女の子をもった友人(イジェアウェレさん)から「子どもをフェミニストに育てるには?」と聞かれたことへの回答が、15の提案としてまとめてある。一つひとつ、寄り添って語りかけるように。
フェミニストであることって、何なのだろう。性別は関係ない(男性だってフェミニストだ)。自分の権利を主張する人?ジェンダー格差の是正を声高に叫ぶ人?セクシストに抗議する人?
ではない。
「私である人」なのだと思う。
「私であることを慈しめる人」であり、「「私である他人」を慈しめる人」なのだと思う。
「あなたがフェミニストとして前提にしなければいけないのは、自分が大切だということ。自分が相手と対等に大切なんだということです。」
15の提案の第1。その一行目には、「あなたが完全な個人であること、フルパーソンであることです。」とある。フルパーソンとは、良い所も欠けている所もあっても、そのままで自分を認めること、そのままを慈しむこと。
母親ならこうとか、女性ならこうとか、枠を決めて過不足を言わず。
子どもを育てるアドバイスの最初が、子どもに云々ではなく、まずあなた自身がフルパーソンとして自分を認め信じなさい、というものであることに感動した。
第2の提案は父親(男性)について。父親が育児を「手伝う」なんていっちゃだめ。男性だって育児をして当然。手伝うという言葉は男性を育児から締め出しているから、というアドバイス。
第3の提案はジェンダーロール。無意識バイアスにもつながるけど、男の子がおもちゃ売り場でお人形をほしがったら??みたいな動画がSNSで出てたりする、あんな話し。「ジェンダーロールの考えを彼女が内面化するのを放置せずに、自立について教えてください。」。
そして第4が、すごく重要。
「フェミニズム・ライト」についてのNO。女性の平等に条件をつける考え。「女性の幸福がもっぱら男の善意を頼りにする」ことで成り立つと考えることへ、NO。夫は、妻が何かするのを許可していた、とかへNO。
あと、よくおっさん達が言っている、男性が権力を握っていると言われるけど、女性が陰/裏で仕切っているから、女の方が強い、みたいなクソ説にNO。「どうして「裏で」なの?」「もし女性に権力があるなら、なぜ権力があることを偽装しなきゃいけないの?」。
第5は本について。第6は言葉づかいについて。言葉には、ジェンダーに関する無意識バイアスがたくさん刷り込まれているから。
先の「フェミニズム・ライト」にからんで、女性に「崇拝」とか「擁護」という言葉を使うことに異論がいわれる。
「女性は実際には擁護されたり崇拝されたりする必要はなくて、たんに対等な人間として扱われる必要があるだけ」。
第7は、結婚は女性へのご褒美じゃないってこと。
第8は、第1のフルパーソンであることを子どもにも伝えましょうってこと。「彼女の仕事は、人から好かれるようになることではなく自分自身であること、正直で人間として他の人と対等だと気づくこと」。
正直であること、正直な意見をいうことって、すっごく簡単そうでとてつもなく難しい。ほんとうに難しい。
第9は、自分自身を含めてどんな背景を持つ人も平等に。
第10がまた大きなトピックで、外見について。どんな体形でも服装でもいい。
「彼女をフェミニストに育てることがフェミニティを捨てさせることだなんて考えないで。」「外見を絶対にモラリティと結び付けないで。短いスカートが「インモラル」だなんて決していわないで。」
エマ・ワトソンがセクシーなドレス着ることにいちゃもんつけたりとか、#フェミニストが脱いじゃだめですか、とか。
第11は、ジェンダーロールの理由付けに科学を使うなってこと。男性脳、女性脳とか。あと、男は浮気する生き物なの、とか。ナンセンス。
第12は、セックスについて。性的同意とか。あと生理などを恥として隠すのは変とか。
第13は恋愛。第14は面白くて、抑圧者、弱い立場の人も別に聖人ではなくて、悪いとこもたくさんあるただの人であるってこと。
これを間違えると、被害者やマイノリティにかわいそうな人の演技を押し付けてしまったり、感動ポルノで消費したりすることになる。
最後の第15は、差異について。「差異はありふれたものだと。差異はノーマルなものだと。差異に価値をつけないように」。
差異については第10でも少し書かれており、「オルタナティブというか、定型とはちがうモデルがもつ力は強調しても強調しすぎることはない」とある。差異のは大きな力があるけど、同時にそれを当たり前のものとしようという、インクルージョンな考えかな。
・・・いや、むちゃむちゃ引用しまくってしまった。が、もっともっといい箇所がたくさんある。宝の山の一部に過ぎない。ぜひお読みください。
最後に、この本の原題は『DEAR IJEAWELE』。副題として、『or A Feminist Manifesto in Fifteen Suggestions』。日本代の『イジェアウェレへ』は、原題そのまんまということになる。
このことに感謝、訳者さん素晴らしいと思う。だって、『イジェアウェレへ』って題名、よくわからなくて売れ筋狙いじゃない気がしない?もっと俗受けする題にしちゃいたくなる誘惑だってあったはず。でも、親しい人に寄り添い語りかける本として、この原題をしっかり残してくださったことに感謝。
今、たくさんの人に読んでいただきたい、大切な本です。
『イジェアウェレへ:フェミニスト宣言、15の提案』チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著、くぼたのぞみ訳(河出書房新社)。
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