無価値無記入な存在に高値を付けてくれた相手には報いなければならない

 わりとナチュラルに自分自身を皇帝だと思って日々を暮らしている(アレな病院に行け
自己肯定感は富士山より高いし自分にひたすら甘いので、自分を追い詰めるような精神的な揺れ動きも全くない。
仕事だけは天才なので、そうした生活に直結する部分での強さが自信に繋がっているのだろうとは感じている。
(仕事以外には得意なことは全くないけれど)
ぼくから開けた世界で、ぼくより価値のある存在など在るわけがない。
ぼくが終わったら(おそらく)世界も終わってしまうのだから、そんな唯一絶対の存在に価値があるのはあたりまえだ。
ただそうした凄まじい自己肯定感を保ちながら、同時に
「他人や他人に集合体である社会が、俺に対して便宜を図る必要なんて全くねえよなあ」
とも思っている。
客観的に冷静に眺めたら、ぼくに何かを与えることで返ってくるものなんて皆無だからな。
メリットが全くない。
他の世界では、ぼくが終わっても(おそらく)世界は終わらないで継続していくのだし。
それなのに生きていると、何故かぼくに良くしてくれる方とちょくちょく出会すのだ。
何が目的なんだ。
何を返してやればいいんだと、真面目に悩む。
人間関係は商取引ではないと重々承知してはいるけれど、何も返せないのはきもちがわるい。

 もう一人の自分と出会したら確実に仲良くはなれないし、なんなら引っ叩き合うくらいの嫌悪感すら抱くだろうに、こんな奴のために何かをして貰うのは申し訳ねえなあと、本当に、心の底から思うのです。
繰り返すけれど、これは自己肯定感とは全く関係ない。
主観的な、今ここから開闢している世界の持ち主としては、自分自身のことが大好きだし、これより貴重な存在などこの世にはないと確信しているけれど、それはこの世界のことだけであって、他者を中心に開闢した(している)世界とは無関係だから。
そちら側ではぼくは、ただのゴリラに似た取るに足らない木端なのだ。
ぼくから開けた世界では大抵の他人がそうであるように。
それなのに、ただの木端にそれ以上の価値を見出してくれるありがたい他人に、何を返してやればいいんだろうな。
良くしてもらう度に、嬉しさやありがたさと同時に、申し訳なさと、どうしようもない重さが積もっていく。
 
 ぼくの好きなコトやモノを覚えてそれを尊重してくれたり、気を遣ってぼくにメリットや喜びを与えてくれたり、そうしたありがたさに返せるものが思い当たらないのだな。
相手が何も得をしないのにぼくだけが一方的に与えられるのは、単純にきもちがわるい。
落ち着かない。
愛をもって与えられたものは適切に、礼儀正しく、愛を込めて返したい。
そうは思うのだけれど、なかなか難しい。
ぼくなんかが返せるものはたかが知れているのだ。
引っ越し作業に若い子たちを集めるとか、そのくらいしかないのだ。
実務的な、腕力や体力で片付くことくらいしか、他人を助ける術がないのだ。
困った。

 そんなわけで日々皆様に助けられ、気遣われ、不釣り合いな愛を一方的に受けるだけ受けて生きていますが、返せる機会と方法があれば必ず返すので、与えるだけで返ってこないような、バカらしい損をしないように、長生きしといて下さい。
頂いた分はしっかりきっちり記憶しておきますので。
おばあちゃんにはこれを返すことができなかったので、もうできるだけ繰り返したくない。
あの人は払い損しちまったからな。
シロ子はまあお互い様だろ。

余談だけれど、まあそうして、他の世界では自分自身に価値など全くないと心の底から思っているので
他人や社会は弱く哀れな自分を助けるべき的な主張を聞くと、わりとビビる。
ぼくが当事者なら、他人が気遣ったり社会がコストをかける程の価値を自分自身に見出すことなんてできないだろうし、それを無視して助けろと主張もしない&できないだろうから。
(それが悪いと言っているわけじゃないぞ)
ああいった他所の世界でも自分自身は尊く価値があるみたいな思想って、一体どうやって培われるのか興味がある。

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