性役割観は親の仇で御座る

 門閥制度は親の仇で御座る
 福沢諭吉の啓蒙思想のモチベーションは、自伝にある、この有名な言葉に集約されてゐる。

 福沢諭吉の父親は、才能のある学者だったさうだが、身分が低くくて世に出ることができず、無名なまま人生を終はったと福沢諭吉は考へてゐる。今では「福沢諭吉の父」としてしか回顧されることがない人物である。

 ちょっと話が逸れるが、
 門閥制度が壊れると、立身出世しなければ、個々の人間の存在を支へる土台が無くなる。
 だから、明治維新以降、男性は出世を目指さなければならなくなった。社会から認めれられた役割が、自分の存在証明となるからだ。
 敗戦後は、出世競争に女性も加はらないといけなくなって、現在に至ってゐる。嫁とか主婦とかお母さんでは、社会にとっては透明人間なのだ。
 「自分らしく生きたい」といふフレーズは、出世したいといふ言葉の現代的な言ひ替へだ。かつての出世頭は、博士・大臣・大将だったが、今は、「自分らしく生きてゐる人」だとされるのは、医師や起業家や投資家といった富裕層かスポーツマンや作家や脳科学者などの「テレビに出て来るセレブ」である。
 かういふ次第で、今の子供は学校で先生に向かって将来の職業について語るときは、同時に、夢を語らなければならないのだ。

 
 話を戻します。
 福沢諭吉は、父親が無名のまま終はったのは、身分制度のためだと考へた。
 身分制度。
 生まれがら身分が決まってゐる。そして、当人の才能や努力がどうあれ、家柄には変化がない。生まれたときにはすでに決められてゐた人生を生きるしか、身分制度の元では、人の生きる方法が無い。
 ひどい話である。

 門閥制度は、個人を不幸にするだけでなく社会を停滞させる。だから、日本は、文明の遅れた野蛮な国として、西洋列強に植民地化されようとしてゐる。
 このろくでもない門閥制度を支へるのが封建制度だ。それで、福沢諭吉は武力行使の明治維新には参加しないが、日本を西洋のやうな四民平等社会に改造することが自分のミッションだと信じた。

 無能なのに家柄がいいだけで上級の役人になれた。そんな役人に、威張り散らされて、秀才少年だった福沢諭吉のプライドはズタズタになったやうだ。そんな私怨もごっそりとこもってゐるから、福沢諭吉の啓蒙活動は本気で真摯なものだった。
 言はずもがなのことを付け加えると、福沢が戦後になってずっともてはやされ、国家発行の紙幣の肖像としても採用されたのは、アメリカ属国としての自由と民主主義の体制に好都合な啓蒙家だからだ。
 保守派にも福沢諭吉の信奉者は多いが、こっちからの思ひ入れを盛り込み易い、なにかと好都合な人物ではある。

 これで、もう、この記事を読むのをやめた人が多いよね。


 さて、福沢諭吉の私怨と啓蒙活動によって、門閥制度はかなり撲滅されて現在に至ってゐる。
 ところが、ジェンダー制度は、手つかずで残ってゐる。
 かつての門閥制度のやうに幅を利かせてゐる。

 性別役割分業は、類人猿ヒト科のヒトの動物としての生態だ。
 ところが、産業革命と技術革命によって、大変なことになった。
 ほんま、えらい変化が起きた。
 科学技術による都市化された社会では、この性別役割分業は役に立たないだけでなく、有害となったのである。

 科学技術による都市化された社会では、男女の性別による分業は必要が無い。分業などすると、生産性を下げてしまふ。

 ただし、男女の役割が均等化されたと考へると、正しい認識ではないとわたしは思う。
 科学技術によって都市化された社会では、かつては男性の仕事だったものが、ほとんどすべて、女性もできるやうになった、といふことだ。
 さういふ方向性に基づいて、男女の性別による役割分担の必要はなくなってきてゐる。例へば、兵役は近代まで男性の役割だったが、現代では、科学技術による兵器の発達によって、女性も男性と同じやうに楽々と人を殺せる。同僚兵士と談笑しながら施設・工場・住居などを破壊できる。

 あの凄まじい殺戮と破壊をもたらした長崎・広島への原爆投下は、女性でもできた。

 戦争は男性のするものといふ固定された観念は崩れたのだ。

 戦争は男性がするものといふ固定された観念の土台には、性役割観がある。
 性別役割分業を生み出すのは、
男女にはそれぞれにできること・できないことがある
といふ性役割観があるからだ。

 乳房があるはうの人間が赤ん坊にお乳を与へる。
 当たり前だとされてゐたが、搾乳したお乳を(科学技術が生み出した)哺乳瓶に入れることによって、性別役割分業を解消できるやうになった。
 性別役割分業が崩れると、それを支へてきた性役割観もぐらついてくる。

 ここから突然、わたしの個人的な体験の話になるが、わたしのゐた・いくつかの仕事場(わたしはフリーターだったので)では、国公立大学の博士課程を出て研究者にならうとする女性たちと接することがあった。
 その女性たちがこぞって嘆くのは、男性には無い出産育児の役割をいまだに女性だけが強いられることだった。そのために研究が遅れ、結果的に女はやっぱりだめだなどと言はれる。
 出産と育児、それらは、未だに「女だから」といふだけの理由で、女性に押し付けられる。
 そのやうに嘆いてゐた。

 昭和から平成のときの話なので、かつては男性が牛耳っていた研究の分野に入って来た女性に対してはなにかと風当たりは強かったやうだ。そんなとき、男だからといふだけで威張られたり、女だからといふことで理不尽な扱ひを受けたりといふことがあって、博士の女性たちは、福沢諭吉のやうに怒りや恨みが蓄積していったやうだ。

 そんな職場のひとつで、お茶くみが女性に科せられてゐるといふことについて、女性たち(といっても二人だったが)が、会議のときにものすごい勢ひで抗議して、わたしを含めて男性陣はちょっと面喰ったことがある。
 人権無視といふやうな言葉も飛んできて、そんなにいやだったのかと驚いた。男性陣はすぐに謝罪して、当番制にすることを動議して、満場一致の採用となった。

 そこから話が二転するのだが、まず、わたしたちの職場に学部生の女性が出入りするやうになった。
 そして、いつのまにか、その女性がお茶くみをやるやうになった。ひとりひとりの机まで運んでくれる。わたしたち男性陣は、女性の笑顔に接して鼻の下を伸ばしながらお茶をすすった。
 可愛かったのである。
 ワンレングスカットのつややかな髪を翻して部屋を出ていくとき、わたしは、その後姿をずっと見送ったものだ。
 或る日、その女の子は、お茶くみをやめた。注意を受けたらしい。
 やがて姿を見せることもなくなった。
 わたしは心の中で泣いてゐたが、わたしを含めて誰も、詳しい事情は追求しなかった。そして、黙々と当番制をこなす日々に戻った。

 江戸時代には、百姓だったり商人だったりした人が、人格や才能を認められて藩の仕事に参加させられ、名字帯刀をたまはったといふ話もある。
 門閥制度の元にも英明な人はゐて、そんな殿様か役人かと出会ったのだらう。運がよかったのだ。ただ、そんなラッキーな百姓や商人は、四民平等の社会を目指して啓蒙家にならうなどとは夢にも思はなかったやうだ。

 性別役割分業や、それを支へる性役割観に関しても、思ひ出すだけで怒りが噴き出して身体が震へだすほどの理不尽な扱ひを受け、損失を被った女性たちがゐる。
 そんな人たちは、性別制度が親の仇である。

 ランドセルの色が、女の子はピンクで、男の子はブルーと決められてゐるのを見ても、腹が立つのは、さうした恨みを持つ女性たちから見ると、日本の社会に、まだまだ、自分たちを抑圧した性役割観が蔓延してゐるからだ。
 しかも、それに気づかず、被害を受けてゐるにもかかはらず、平気な顔でお茶くみをしてゐるやうな・アホな若い女性がゐるから、黙ってゐられないのだ。自分が男たちに搾取されてゐることに気づいてゐない。


 さて、何が根本的に悪なのだらうかと考へれば、やはり、
性別
 といふところにいくと思ふ。

 わたしは、保守派に入れないネトウヨ☆だから、もちろん、性別も、性役割観も、性別役割分業も残して置きたい、残して置くべきだと考へてゐる。

 それはそれとして、いろんな人にいろんな立場があって、誰かが「これが正しい」と思ってゐたところで、「それはあなたの意見ですよね」といふことに過ぎないことは、さすがのネトウヨにも分かる。

 わたしとはまるで思想の違ふ人たち。 
 なぜその人たちはさう考へ、そのやうに感じ、さういふ生き方をするのか。
 その人たち一人一人の立場になって共感できればいいなと思ふ。まあ、無理だが。

 わたしは、↓のニュースを見て、自由な性を生きるとかジェンダーフリーとかの思想を持つ人たちは、どうしてかうも性別にこだはるのだらうかと思ったが、それぞれ個人が性別によって恨みをいだく体験があったのかもしれないと考へると、ちょっと理解できさうな気がしてきた。

 


天皇観が今の保守派とまったく異なる。
保守派は、天皇皇后両陛下は慈愛に満ちた「日本国民のお父さまとお母さま」といふ捉へ方。
これぢゃあ旧統一教会と同じで、カルトだとわたしは思ふけどね。

いや、カルトだと言っても、カルトを否定してるわけではないです。他人や社会に迷惑かけなければ、内部で輪姦とか殺し合ひとかしててもいいと思ふ。


 

 

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