見出し画像

淡路島の社を巡りて~第壹社目 志筑八幡神社

記事の最後に挨拶文がありますので、最後までお読み戴ければ幸いです。

※2020/01/03加筆・修正

【由緒】

文禄2年(1593年)3月5日、山城国久世郡男山石清水八幡宮の御分霊として当地に鎮座創立。
慶長17年(1612)社殿を造修。明治6年(1873)2月村社に加列。
32年(1899)10月4日社殿改修。昭和50年(1975)神殿屋根 銅板葺き替え。
平成7年(1995)1月17日、阪神淡路大震災により本殿・拝殿が損壊、社務所・神輿庫・参集殿・大鳥居・玉垣・手水舎が倒壊。以降約3年に亘り新築造修。平成21年(2009)2月、氏子崇敬者により復興する。

古来は、志筑・中田・大町・多賀・尾崎等から三社詣りと言って、志筑神社・志筑八幡神社・王子熊野神社を巡拝する一社で各地区の産土神である。
下方にある八幡寺は旧別当寺。

『鮎原村史』(新家天心編)には、

享保年間(1716~1736)志筑の某が、泉州住吉社に詣で、帰国後同社の檀尻を真似て作り、大歳神社の祭礼に出した。これが淡路の舁(か)き檀尻の始まりである。

と書かれている。
上記にあるように、旧津名町の檀尻については大歳神社との関係が深いので、ここで記しておく。
志筑大歳社は境内が狭く、組によれば年4回(志筑社・八幡社・大歳社・王子社)も檀尻を出すところがあるので、八幡社と大歳社の祭礼は大正中期に合併したようである(熊野社へ上げるのも中止している)。

大歳社だが、現在は小さな社を残すのみで、合祀も含めて詳細は現在のところ不明である。

画像1

執筆当時は大歳社の場所に迷いがあったが、現在研究している資料(江戸前期)から、この祠で間違いないことが判明しました。



志筑北には「北濱の沿革史」(木下賢一ノート)があり、それによると

享保13年(1728)志筑北濱と濱村が合併し、北濱となって檀尻を作った。
これは志筑では2番目である。

と書かれているようだ。
これを踏まえると、上記の大歳社に出された最初の檀尻は1728年より前であることが分かる。また、

宝暦十三年(1763)曳船を作り海に浮かべて祭事に出した。この船は後に陸に上げて車に乗せ、八幡神社の祭礼に出し、これを八幡丸と命名した。

とある。
祭り囃子を作り、八幡社の宵宮で披露したのが文久3年(1863)。

八幡社には、昔の大祭の様子が描かれた絵馬(製作年不明)がある。
拝見させてもらったところ、上記にある北濱の八幡丸が描かれていた。
他には、4段の布団ダンジリが2台(書籍によっては5段と書かれているが、描かれているのは4段である)、入母屋屋根の曳ダンジリ、御神輿も見受けられる。神輿は現在のように牛車には載せられておらず担がれている。

製作年は、(生穂)賀茂神社の絵馬(明治20年)より古いものと思われ貴重な資料になるが、傷み・剥離が激しく判読するのがかなり難しい。画像編集をしても多少マシになる程度。なんとか製作年だけでも判別できるように調査中である。

【意匠・彫刻】

八幡前バス停から川を渡り、八幡寺を超えて坂を登りきると広い境内が広がる。初見ならば、先ず唐破風の大きな屋根に圧倒されるだろう。鬼瓦も大きく立派。神社の屋根は一般的に、茅葺きや銅板葺きが多く瓦葺きは少ない。
御社も震災造修で瓦に葺き変えたようだが、屋根が立派すぎて小屋組みに比して柱が細く見えてしまう。

彫刻は、斎藤万林と並び称された大村南龍(弘化2年(1845)~大正3年(1914)没)の代表作。
書物には、「瓢箪の口の彫刻が生業であり、龍を得意とした。」とあるが、社殿を巡っていると南龍の作らしき彫刻が散見される(私見)ので、寺社仏閣の装飾もかなり受注していたようである。たしかに細かな仕事を生業としただけに社殿の彫りも丁寧さが窺える。
100年という年月が経っているが、構図も良く今にも動き出しそうな見事な龍である。

画像2

画像3

画像4

獅子鼻も体積のある立派なものである。

画像5

拝殿の虹梁は1尺5寸(45センチ)以上の高さがあるように見える。
この獅子鼻の背丈も同じであり、「体積のある」とはこれを指している。
笈形・狭間の龍・唐破風・懸魚もかなりの大きさであるのが解ると思う。

続いて、本殿。笈形・虹梁・蟇股・象鼻。拝殿同様どれも緻密な彫りである。

画像6

画像7

画像8

画像9

画像10

画像11

画像12

いま作ろうと思えば、(国産なら)材木も中々無いだろうし、彫刻も大きすぎて断られるかも知れない。氏子住民には大事にして戴きたい。

【祭典・だんじり】

4月29日 例大祭神幸式
檀尻は、石神・北・南・明神・連東・西谷・田井・天神・連上(子供)・殿下(子供)。
石神が佐野から購入し、連上(曳)と殿下は子供だんじりに変わり、中部(曳)は手放したようである。
また、牛車の上に乗せている珍しい神輿が厄年によって巡行する。

画像13

だんじりの練り込みの後、数組は三味線と踊りのお囃子を行う。
このような伝統も続けていってもらいたいものである。
その様子は、こちらからどうぞ。

7月14日には、夏祭り「夏越の祓い」と「湯立て」神事(神楽)が行なわれ、境内には「茅の輪」が設えられる。

noteには初めての投稿となります。
今後はこちらにUPしていこうと思っています。
noteは容量無制限みたいなので、その心配なく書き進められます。
今後も宜しくお願いします。

最後になりますが、noteの記事は無料・有料が選べるみたいです。
基本的には無料で公開していこうと思っていますが、noteにはサポート(投げ銭機能)もあるようなので、お賽銭代わりに調査のサポートを宜しくお願い申し上げますm(_ _)m

最後までお読み戴きありがとうございます。 調査・活動のためのサポートを何卒お願い申し上げます。