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『照内寛和』

はじめまして.こんにちは.
照内寛和(てるうちひろかず)です.

 今回のnoteでは,「僕がどんな人なのか」に焦点を当てて,書いてみようと思います.少し長いですが,お読みいただけると嬉しいです.



 小学校6年生の担任の先生のわかりやすく教えてくれるところに憧れを抱き,自分もこの人みたいに「教師になって,生徒にわかりやすく教えたい」と思い,教員の免許を取得できる大学を選択しました.

 入学した大学で2年ほど経とうとしている頃,「教師になって,生徒にわかりやすく教えたい」という価値観に変化が起きます
 
 教育に興味がある僕は,プログラミング学習のプロジェクトに参加しました.そのプロジェクトは,オンライン上でプログラミング教室を開き,参加してくれる方にプログラミングを進めてもらうというものでした.

 参加者自らが,プログラミングのコードについての理解を深めていくという運営でした.つまり,運営側はプログラミングのコードについて「教えない」.参加者自らが「探究する」.

 プロジェクトを進めていくうちに,「学校で教師がわかりやすく教えることは,本当に生徒の為なのか.」というところに辿り着きます.僕の今の考えは,「わかりやすく教えることは,今後の世の中を生きていく生徒の為にはならないのではないか.」です.

 今,日本にはたくさんの課題があります.少子高齢化や人口減少,都市一極集中など.世界まで視野を広げるともっと多くの課題があります.貧困の差,難民問題,エネルギー問題など.こういった社会課題や,そこまで大きくなくても,目の前に乗り越えなければいけない未知の課題,答えのない課題があった時,それを解決するために探究できる人を育てなければならない.

 そんなことを考えながら,縁あって埼玉県の非常勤講師として,1年間働かせていただきました.「探究できる人を育てる」をテーマに授業をしたつもりでしたが,授業をすることに誠意一杯になった時期がありました.授業に追われ,テーマをすっぽかして授業を構成した時もありました.

 そんな時期に一度,手術をしました.急性虫垂炎,いわゆる盲腸です.成功率は高い手術でしたが,本当に死ぬのかなとも思ってました.そこで人生は一度きりと気づき,楽しい方向だったり,後悔しない人生だったって死ぬ時に言いたいなと思いました.

 術後,自分のやりたいことを探し始めました.非常勤講師として働いていた時,「探究できる人を育てるには授業という環境をどういう構成するか」を考えることが好きでした.授業準備のところです.それはやりたい.楽しいから.

 ただ,学校では授業に追われてしまう自分がいたので,「一度少し距離を取った教育現場で,探究できる人を育てることがしたい.」と思い,色々探していると島根県にある隠岐島前で地域課題を題材として中高生が探究活動していることを発見しました.

 よく調べると大人の島留学という制度があり,教育委員会で働けることを知りました.既に地域課題を題材として,探究できる人を育てることをしている環境で自分も何かそのサポートや挑戦がしてみたいと思い,参画することに決めました.

 そして,隠岐島前の西ノ島町の港にてこの記事を執筆している今に至ります.

 


 
 「照内寛和」という人物の経緯や価値観・考えについて書いてみましたが,書いたとは言っても,まだまだ自分自身が何者なのか,いまだに掴めていません.言語化もまだまだ足りない.
 自分自身を探究するために,そして自分というものを記録しておくためにも,人に伝える言葉で自分の考えたことや価値観などを,1週間に一度発信していきます.

 最後に,大学での出会いと盲腸に感謝しながら,日々を楽しくかつ面白く過ごしていこうと思います.

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