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マスクと差別と感染症

数ヶ月前からたまに見かけた宿泊施設のノーマスク客拒否法案のニュース。
その時はそんなの実現しないだろうと軽く考えていたけれど、いよいよ現実的に法案が成立しそうな雰囲気となってきてしまった。

反対署名とかパブコメとかないかと情報収集するも不発。
あまり皆さん、重要視してないのだろうか。。。

かつてあったハンセン病患者の宿泊拒否事例。
そのことがあっからだろうか。
全療協(全国ハンセン病療養所入所者連絡協議会)からこのマスク宿泊法案に対する反対表明があった。

 新型コロナウイルスに感染した疑いのある客の宿泊を、ホテルや旅館事業者が拒否できるように、国が旅館業法の改正を検討していることについて、全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)など4団体は13日、加藤勝信厚生労働相あてに改正に反対する意見書を提出した。厚労省で記者会見した徳田靖之弁護士は「国の対応は行き過ぎで、感染者や障害者への差別を助長する」と述べた。 
徳田弁護士は、ホテルや旅館での新型コロナのクラスター発生がほとんど報告されていないと指摘し、「過度な恐怖感から感染の疑いがある人にまで宿泊拒否の範囲を広げれば、本来は治療が必要な感染者を『迷惑な人』と位置づけ、社会から排除する危うさがある」と述べた。その上で「法改正は偏見や差別を正当化する流れにつながる」と危惧した。

下記リンクより


2003年熊本黒川温泉でハンセン病患者が宿泊拒否されるという事件があったのだ。
ハンセン病は回復した患者からも治療中の患者からも感染するということはないのに激しい隔離政策と差別が行われた。マスク警察ならぬハンセン病警察がいたのだ。子孫を残せないように女性は不妊手術、男性にはパイプカットが行われた。



ぼくが住んでいるまちにも敬愛園というハンセン病施設がある。樹木希林が「あん」という映画の役作りのために訪れたこともあるところだ。

「あん」ではハンセン病施設に入所していた患者が社会に出て和菓子屋で働く物語。
ハンセン病というものに対する不理解が引き起こす悲しい差別。1996年ライ予防法は廃止されている。


(ぼくは「あん」を見ていないですが粗筋だけでもぐっと胸に来るものがあります。記事最後にあらすじ転載させていただきました。)


さて、宿泊法の改悪。

何と症状がなくても宿泊拒否出来るという悪法

SNSのコロナグループの投稿などを見ていると、
この法律ができたら宿泊しないだけとか、旅行業が潰れるとかそういう意見が多い。それはそうなのだけどぼくが危惧するのは、全療協と同じく人権が軽く扱われこれをとっかかりにしてさらなる制限や差別が拡がっていくこと。

人は流されやすいし、日本という社会、
こ2年半のコロナ禍で集団心理がどう働くかぼくは見てきた。
マスクをしない少数派、
ワクチンを打たない少数派
がどう扱われていくか。
手に取るようにわかる。

少しずつ少しずつ
檻を作っていく。


気づいた時には手遅れとならないように反対の声をあげていきたい。


ぼくらは氣持ち良く呼吸したいだけなのに。
顔を不快なもので覆いたくないだけなのに。


10月3日から始まる臨時国会で宿泊拒否法案は提出される予定。
統一教会問題で紛糾している間にしれっと通されてしまわないことを願う。


ご一読ありがとう御座いました。


以下、映画「あん」の粗筋、上記リンクより転載します。
(長いので興味のある方は時間ある時にどうぞ。4000字くらいです。)

《春、桜が満開で花びらを散らしていた。小さなどら焼き屋「どら春」では、常連のような中学生三人が放課後、楽しげに団らんしている。黙々と記事を鉄板で焼く男、千太郎。口数も少なく、桜の花びらが入っていると中学生から突っ込まれても、無料でどら焼きを手渡してしまうような男だった。中学生が去った後、入れ替わりでワカナという中学生が席に着く。彼女は千太郎からこっそり「出来損ないのどら焼きの皮」を無料でもらい、どら焼きとミルクを飲みながら時を静かに過ごしていた。そんな千太郎に一人の老婦人が話しかけてくる。店頭に張り出した「アルバイト募集」を見て、是非ここで働かせて欲しいと懇願する。彼女は吉井徳江、さすがに断る千太郎だったが、時給200円でいいから働きたいのと食い下がる徳江。力仕事だしキツいですよと釘を刺し、徳江にどら焼きをプレゼントした千太郎はやっと帰ってもらいため息をひとつ。その日の午後、徳江が再度「どら春」を尋ねてくる。徳江は「どら焼き食べたんだけど、皮はいいんだけど…餡(あん)がねぇ…」と苦言を挺し、自分が作った粒あんのタッパーを食べてと置いてゆく。あまりに身勝手な徳江の行動に、タッパーを一度はゴミ箱に落とした千太郎だったが、一度味見をそっとしてみる。すると絶品の餡。驚愕し、何度も味見をした。その夜、ワカナは高校の先輩が働く、そば屋へ夕飯に訪れていた。片親で男好きな母親に辟易し、母親もワカナに金を渡し食事等自由にするよう言っていたのだ。そこで仕事帰りの千太郎と会い、夕食を共にする。以前、会った徳江の話を酒を飲み煙草をふかしながら、ワカナに零し徳江の「餡の凄まじさ」をしみじみと語った。それを見ていたワカナは「働かせてあげればいいのに…」と、天ざるを口にしながら呟く。桜が散る頃、徳江が再び「どら春」をふらりと尋ねてくる。千太郎は頭を下げ、もし徳江さんさえ良かったら、とアルバイトに応じることを了承した。

千太郎は餡は業務用の缶のを利用している事を白状し、徳江は一から作る事を提案した。夜が開ける前に作業が始まる。そう言う徳江は、早朝には既に店の前で待ち構えていた。千太郎も作業に付き合う。前日、水に着けていた真っ黒な小豆を選別し、銅鍋でゆっくりゆっくり茹でていく。その後ざるに取り冷やす、再び鍋に戻すと水飴を投入し焦がさぬ様にゆっくり煮込む。恐ろしく時間がかかり、神経をすり減らす作業だったが、徳江は幸せそうに大豆と向き合い絶品のあんを作り上げた。試食する千太郎はぼそっと「俺、どら焼きをまるまる一つ食べるの初めてです」と微笑み、どら焼き屋さんなのに何故?と尋ねる徳江に、もう開店時間だと述べ、答えは返さなかった。徳江は餡作りを終え、静かに帰る。徳江は携帯電話を持たず連絡手段はなかったが、必ず毎日夜明け前には「どら春」へ辿り着き、千太郎とあんを作る。徳江は千太郎に厳しくも優しくあんの作り方を日々教え、千太郎の表情も少しずつゆるみ、楽しそうにあんを作り続けて行った。「がんばりなさいよ」と鍋に向かって呟いた徳江の言葉を「はい!頑張ります」と千太郎は自分に言われた様に感じたが、実は小豆へのラブコールだったことが分かり思わず赤面する場面もあった。徳江は毎日きつい仕事ながらも、生き生きと働く喜びで溢れていた。徳江のあんは美味しいと口コミで人気を呼び、開店前から「どら春」には長い行列が出来る様になっていた。「良かったですね」と喜ぶ徳江。照れた様に精一杯どら焼きを売る千太郎。手編みで外で座るお客様用にランチョンを作り上げ持って来たり、時には常連の中学生達の話し相手になったり、どら焼きの包装を手伝ったり、色んな仕事を率先してし始める徳江。千太郎はそんな徳江を優しく見守り、指の変形などにも気づいていたがあえて聞かず穏やかな日々を送っていた。そんな夏のある夜、どら春のオーナーが犬の散歩の帰りに寄り、凄い剣幕で千太郎で詰め寄った。徳江の書いた住所を見てため息をつく。

「最近、あんたんとこで働いてる徳江って人、らい(ハンセン病)らしいじゃない、困るのよね。あれうつるかもしれないし、もしお客に知れたら此所はお終いよ、辞めてもらって頂戴。この住所、らい病の隔離療養所よ」

と一方的に言い、去って行った。千太郎は事情があり、オーナーに雇われていたこともあり何も言葉が返せなかった。やけ酒を煽り、翌日は徳江から朝、電話が入るものの「風邪で今日は店を閉めます」と伝える。徳江は、あんの仕込みだけでもして帰るかと一人で作り上げ、一休みしていると開店を待ち望む客から「どら焼き欲しいんですけど」と声を掛けられる。焦った徳江は、千太郎もいないし今日は休みなんですけど…と一度は断るも、お客さんに申し訳なくなり、自分で不器用ながら皮を焼き、どら焼きを作り、そのまま売ってしまう。夕方、千太郎がどら春を訪れると、疲れでぐったりした徳江が。「店長さん、こんなことを毎日一人でしているのね」と笑い、穴の開いた皮を見せられ、楽しかった今日の流れを聞き、千太郎は心が暖かくなる。そして意を決して、もし徳江さえ良かったら接客の仕事も一緒にお願いしたい、と頭を下げる。喜んでと徳江は笑顔を浮かべた。店番をする徳江はワカナとも仲良くなり、ゆっくりと交流を深めていく。ワカナはうっかり徳江の指の「秘密」を、おしゃべりな母親に話してしまう。

人の噂は広がるのが早い、満員御礼だったどら春の客は減り、瞬く間に閑古鳥が鳴いてしまった。徳江は寂しそうに、小さな招き猫を磨く。そんな姿を居たたまれず見つめる千太郎は、もう今日は上がって良いですよと徳江に優しく呼びかけた。徳江は白い帽子と前掛けを丁寧に仕舞い、樹々にそっとさよならを告げ去って行った。それを悲しげに、苦々しげに見守る千太郎。
その日を境に、徳江はどら春から姿を消した。秋、千太郎の元へ徳江から一通の手紙が届く。

中では徳江が、ハンセン病であること、久々の外出でどら春を見つけつい声を掛けてしまったこと、店長さんとあんを作れて幸せだったこと、当たり前の様なことでも何もできなくて、差別を受けたくなくても受けてしまう理不尽で迷惑をかけてしまったことを悔いていた。

千太郎は何もできなかった自分を悔い、酒に溺れた。店も閉めがちになっていく。そんな折、ワカナが私服姿で鳥かごを持ち尋ねて来た。徳江と以前、話した際に家でこっそり飼っていたカナリアの”ハーヴィ”がバレてしまったら、引き取ってもらえないかと相談していたのだ。ハーヴィがバレて家出をしてきたワカナを連れ、徳江の居場所である療養所へ向かう二人。出迎えたのは眼鏡を掛けた同じくハンセン病の老婦人、佳子だった。旧知の中である佳子は徳江の元へ二人を導く。徳江は優しく二人を出迎え、佳子は洋菓子の名人なのよと紹介し、佳子は徳ちゃんは和菓子の名人と楽しそうに会話をしている。徳江は自分が作ったあんで作ったぜんざいと塩昆布を振る舞い、美味しそうに食べているのを見守った。徳江は幸せそうに「桜がとても綺麗だった、ありがとう」と千太郎に告げる。その言葉に涙する千太郎。「店長さん、美味しい時にはね、笑うのよ」と徳江は励まし、ワカナはハーヴィを預け、療養所を後にした。冬、千太郎は、徳江へ手紙を綴った。自分は昔、酒が元で、相手が重傷を追い、日常生活を送れなくなる位の傷害事件を起こしてしまったことで、逮捕され刑務所に入っていた時期があり、今のオーナーの旦那に助けられてどら春にいることを告白する。どら春でも、オーナーが甥っ子と一緒にこの場所でどら焼きとお好み焼きをやって欲しいと一方的に相談される。居場所がなくなり、千太郎は療養所の前で一人佇んでいた。そこへワカナが現れる、徳江に会いに行こうと促され千太郎は着いて行く様に療養所を尋ねる。すると迎えてくれたのは佳子だった。徳江は三日前に亡くなった事を告げられる。

呆然とする二人を佳子は、徳江は持病の肺炎が悪化し、息を引き取ったという。佳子は墓を持つ事すら許されない療養所の人々が亡くなった時に植えた「樹木」を見に行く。桜が大好きだった徳江の「花」は、ソメイヨシノ。佳子は徳江の部屋を案内する、綺麗に片付けられていた室内で、遺書という名で徳江が残していた一本のカセットテープを取り出した。中には、二人に向けた徳江の優しい声。ワカナにまず謝りたいと、カーヴィを引き取ったものの、自由を求めている様に見えすぐに解き放してしまったと言う。小豆の声をじっくり聞き、あんを作っているときがとても幸せだった、自分はハンセン病と診断され、当時は家族からも隔離され生きて来た。夫もいたが先立たれ、子供を持つ事も許されなかった自分には、もし子供がいたら千太郎くらいの年になっていただろうと考えた。あの春、どら春で見つけた千太郎の目はかつての徳江の孤独に満ちた目で放っておけなかったと告げる。この世に意味のないことなど、何もないと言い、


「私たちは生きる為に生まれてきた、聞くために生まれてきた…だとすると、何かになれなくても、私たちには生きる意味は在るのよ」


と伝え、佳子は徳江が残した形見だから是非もらって欲しいと、千太郎達に昔から使い込んだ美しい和菓子用の木へらや、ざるが押入れから丁寧に取り出した。手に取り、涙を流す千太郎。徳江の気持ちが痛いほど優しく千太郎を包み込みこんだ。季節は巡って春、徳江の形見であんを作り、野外の公園でどら焼きを作り売る千太郎。彼の頭上には満開の桜、見上げる千太郎の顔は笑顔。「どら焼き、どら焼きいかがですか?」張り上げる声は大きく、明るい。「どら焼き、ください!」元気な子供の声が、響いた。》


或る日、敬愛園近くから見た夕日。
太陽は誰の上にも登り沈んでゆく。


後日、映画を見ました。
人が生きる意味に溢れた物語でした。



以上です。


ナマステ🙏


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