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【俳句】夏帽子3句

パナマ帽置き長き祈りの鳥居前

玉音を聞き終へ麦藁帽ちらほら

戦争へ帽子の飛ばぬ夏日なし



 歌人の尾崎左永子さえこさんの有名な歌に「戦争に失ひしもののひとつにてリボンの長き麦藁帽子」がある。戦後すぐにでも頭にもおしゃれの花が咲いたかと思いきや、国民帽や戦闘帽を被らされていた反動から、帽子離れ現象が起きたという(戦後の帽子事情)。抑えられていた頭に風を通す必要があったのか……多くの人々に同じ心理が働いたのだ。
 尾崎さんとも交流のあった「芸術は爆発だ!」の岡本太郎は、5年間の軍隊生活の後、戦後1年ほどしてから「惨めな復員姿で日本に帰って来た。何処の駅だったか覚えていないが、佐世保からスシ詰めにつめ込まれた復員列車がプラットホームにとまった。その眼の前で、派手ななりをした数名の日本パンパン娘が、アメリカ兵の膝の上で復員兵達には全く驚異的なケバケバしいジェスチャーでいちゃついていた。心身ともにやせ細っていた復員兵には全くこの世のものではない不可思議な風景だった」(岡本太郎『芸術と青春』光文社知恵の森文庫)。
 戦後、帽子を被り始めたのは若い女たちだったのだろう。彼女らの無遠慮な振る舞いが、戦地で地獄を見てきた男たちにとり、良くも悪くもその後の彼らを導く光となったかもしれない。



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