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愛と錯覚【誰かを愛し、愛されて】

突然ですが、皆さんは誰かを愛したことはありますか?

家族や恋人を愛していますか?

みんな簡単に愛してるなんて口では言うけれど、そもそも愛って何なのか、説明できますか?

好きと言う感情との違いは何なのか。

人には異性しか愛せないのか。

友達を愛することはできないのか。

はたまた、他人を愛することはできないのか。

考えれば考えるほど、人間の愛というものは"錯覚"でしかないようにも思えてくる。

結局、誰かを愛する自分の感情に恋しているだけなんじゃないかって。

そんな、"人間らしい"自分に恋してるだけなんじゃないかって。


あなたさえいれば、他には何も要らない、なんて言うけれど

その本意がどこにあるかなんて、誰にも分からない。

そう言っている本人すら分かっているかどうか分からないじゃないか。


世に蔓延る様々な悪。それら全ての根源が、ここにある。

愛の渇望。

自らの心にある愛の器を満たすために、みんな色んなことを試してみる。

多くの人と付き合ってみたり、権力を手にしてみたり、他者と差別化してみたり。

でも、人間同士の恋愛でなんか、これっぽっちもその器は満たされないのかもしれない。


永遠の愛を誓い合う新郎新婦。

現実を見てみれば、数ヶ月、数年後には別れてしまっている夫婦も多い。

永遠の愛なんて嘘じゃないか。

そもそも誓うなんて、誰に向かって誓ってるんだ。

もはや、この世の中では"離婚が普通"みたいな風潮にもなってきている。

誰もその本質については触れない。結婚は人生の墓場だなんて言う人もいるくらいだ。みんな、現実を前にして諦めているんじゃないか。


でも、よくよく考えてみると、結局自分の"外"に本当の幸せは見えてこない。

とてもカッコよく、綺麗な芸能人、モデルさんたち。でもその肉体は年とともに衰えていく。

その肉体にしか価値を見いだせていなければ、年月とともにその価値を失っていく。人の身体は、衰えていくものだから、仕方がない。

ものすごくお金を稼いでいる人、権力を持っている人たち。死後の世界においてまで、その権力を振りかざそうというのか。

残念ながら、盲目の権力者がこの世に多く存在していることも、事実である。


紀元前において、お金、名誉、権力、この世の快楽全てを手にしたソロモン王。

しかし、彼の最後は虚しいものであった。


"空(くう)の空、空の空、いっさいは空である"


ソロモン王の生涯を表した、一節。彼は人生において、全てこの世の快楽を得たが、それでも彼の心が満たされることはなかった。

同じような言葉を残した現代の権力者といえば、Appleのスティーブ・ジョブズ。あれほどまでにこの世の権力、名声を手に入れたジョブズ氏ですら、死を目前にして彼の生涯を悔いた。

その時にジョブズ氏が残した言葉の数々の中でも、一際人々の目を惹かせた単語。

である。


結局、この愛の正体とは何なのだろうか。

人が生まれながらにして持つ本能だ、と一言で片付けることもできるのだろうが、それは全く本質的な答えにはならない。

結局知りたいのは、"なぜ"人は愛し、愛を求めるのか、というところなのに。


でも、誰にも分からない。だって、私たちは人間なのだから。

まるで、コップたち同士が、自分はなぜこのような形をしているのか議論し合うようなものである。

様々な"予測"はできるだろうが、その答え合わせはできない。


しかし、この世の中の男女間の恋愛に、その答えは存在していないということは強く感じている。これは詳しく説明する必要がないほどまでに、明確なんじゃないだろうか。

もちろん、異性を愛することは出来るのかもしれない。

ただ、この世の中の果たして何人が、"正しく"他者を愛せているのだろうか。


このようなことを書くだけでも、ものすごく胸が痛くなる。

あまりにも、世の中で愛の象徴として、男女の恋愛を持ち出されることが多いから。そして、それを信じ、求めている人があまりに数多くいるから。

でも、本当にそうなのか。一度、問い直したい。


自分の愛の器を満たしたい。

だから、その器から愛を汲み取り、他者へ与える。

そして、相手にも同じようにしてもらう。

果たして、本当にそれで愛の器は満たされていくのだろうか。


1つ、たとえ話。

砂漠のど真ん中で、二人で遭難した。

持ち物は、半分だけ水で満たされたペットボトルのみ。

あなたなら、その水をどうしますか。

多くの人は、半分ずつ分け合って飲む、と答えるのではないでしょうか。

なぜなら、自分も生きるためには水が必要だから。

仮に、全て自分が飲んでも、相手を失ってまで生きるのも辛い。

一方で全て相手に与えても、自分が死んだら元も子もないし、何より死にたくはない。

自分も、必要。

後者のような選択をする時には、自分がまず満たされていることが絶対条件。


そうです。

自分が満たされていないのに、相手に与えてもダメなんだ。

結局は、見返りを期待して、そのために何か良いことをする。

本当に何も見返りを求めず、ただただ他者に尽くすことのできる人は相当珍しいですよね。

本当に満たされていなければ、そんなことはできない。


お金で満たされた人が次に求めるのは、何か。

権力、幸せ、名誉、異性?? 

様々にあるとは思いますが、お金を手にした人たちは次に、目に見えないものを求めたがることが多いのではないでしょうか。


では、愛で満たされた人ならどうか

お金に執着しますかね。はたまた、名誉を求めて活動し始めますか。

おそらく、しない。


結局、人は愛を求めて、目に見えないものを人生のゴールとして生きている。

でも、それを何となく分かっているはずなのに、目先の利益や誘惑に惑わされる人も多いのが現実。

なぜなら、それが自分を幸せにすると錯覚するから。

そのように、目に見えるものは錯覚であることが多い。

目に見えやすいから、一時的な幸せも"わかりやすい"、だから錯覚し、惑わされる。

そのようにしてこの世の中が、より一層混沌としたものとなりつつあるように感じます。

それが特に顕著なのは、異性に関する問題ですよね。

本当に心が痛くなるようなニュースも日々多い。

錯覚する人々があまりに多いから。法を犯してしまう人も多いから。

善良な心を持つ人でさえ、そのように悪事を働くような人が"得ている"のを見て、その波に流されてしまうこともある。


本当に、善良な人であればあるほど生きづらい世の中です。

でも、そのような暗い闇を照らす存在として。

この世の中で、"幸せな人生"を送るために。

自らの脳が誤解をしているならば、それをまず正すことが先決なのかもしれません。







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