![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/23561435/rectangle_large_type_2_9d9d88db94569cee6a24554ba637fb68.jpeg?width=1200)
W/コロナ時代に露呈した『外側だけ』だった国、日本
私たちは、結局『外側』だけだった。
今現在、世界は『パニック状態』に陥っています。
なぜなら、私たちが普段多くの価値を置いていたものの価値が捨て去られるようになった。
一方で価値をほとんど感じていなかったものの価値が見直されるようになった。
まさしく、コロナによって世界が、人々の価値観が『逆転』した。
そんな中で僕自身が一番大きな逆転だと感じたこと。
それは、再び『命の価値』が見直されるようになったこと。
紙幣よりも、原油よりも、マスクの価値がどんどん上がっている。
経済成長よりも人々の命を重視する決断を素早く下した国が、今現在その影響を最小限に抑えられている。
特に日本では、今まで多くの人が私たちが暮らしてる『恵まれた環境への感謝』なんてしてなかったのに。
『自分の健康な身体』への感謝なんて、あまり考えている人がいなかったのに。
コロナがだんだんと流行し始めて、また、タレントの志村けんさんの死去などがトリガーとなって、『あ、本当にやばいんだ』とやっと気づき始めた。
それからというもの、人々の危機感が煽られた結果トイレットペーパーの買い占めや、マスク、消毒液の買い占め、緊急事態宣言の発令に伴って食料品の買い占めが相次いで発生した。
日本人は、より集団所属意識が強い民族。
ゆえに、ウイルスもそうだが、一度『恐怖』が伝染し始めると、物凄い勢いで広がる。
結局、このような一連の社会の動きを俯瞰的に眺めている中でもっとも強く感じたことは、『日本人の限界』。
つまり、『外側を見れば発展していた日本』ではあったけれど、『人々の内面を見てみると、全然大したことがない国』だったなと感じ、とても悲しくなった。
多くの人が命の危機に晒されたとき。そしてその影響が自分にも及んだとき。
誰が民族の心配をしただろうか。
誰が隣人の心配をしただろうか。
結局、自分さえ良ければいい。自分1人が生きればいいんだ。
そのような考えを表現するような行動が各地で発生したことが、本当に悲しかった。
買い占めをして、他の誰かが困るかもしれない。
本当に必要な人たちに届かないかもしれない。
そんなこと、このような状況下ではみんなどうでもいいんじゃないですか。
日々身を危険に晒しながら医療機関で働かれている人たち、飲食店で働かれている人たち、小売店で働かれている人たちに、どれだけの人が感謝しているんですか。
日本人は、あまりに欲に正直な民族に成り下がってしまった。
本来、私たちが心の中心におくべき『倫理観』を、どこに置いてきてしまったのだろうか。
このような『物質主義』から心、精神、命など、『生』への価値観の回帰は、死を目前とした病院のベッドの上でも起こる。
それを、今回の出来事によって私たちは実感することができた。
実感したならば、これからは賢く生きる選択をしないといけないんじゃないか。
今までの自分の価値観を見つめ直して、心を新たに、生を新たにしなければいけないのではないか。
これまでの時代、様々な時代の中心者がシンギュラリティのような役割を果たして、私たちの精神を発達させるようにしてきた。
まさに今こそが、コロナを通して気付くべき、その時なのではないか。
本当に、今私たちが変わらなければ、やばい。
エコシステムとかビジネスモデルとか、その次元の話でもなく。
私たち個人が、心から変化しなければ、やばい。
『外側だけが発展した国』から完全に脱却して、『外側を見ても、内側を見ても美しい国』を作り上げなければいけないのではないか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?