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読書【いま、本当に必要なこと】(平田オリザ) コミュニケーション論としての最高峰!


新しい本ではありませんが、この度読了。

秀逸過ぎて、まさに寝る間を惜しんだ読書になりました。

私は今、縁あってアメリカで暮らしています。
アメリカでは、周りのアメリカ人の思考回路、文化に興味を持っており、この本を手に取りました。

秀逸です

コミュニケーション教育は人格教育ではない

私は教育者でもなんでもない、
しがないサラリーマンですが、
確かに我々はコミュニケーション能力を余りにも「個性」の様に取り扱っていることに気づきました。

<前略>

そう考えていけば、「理科の苦手な子」「音楽の苦手な子」という捉え方もできるはずだ。

<中略>

理科の授業が多少苦手だからといって、その子の人格に問題があるとは誰も思わない。
できれば中学卒業までに縦笛ぐらいは吹けるようになっておこうよ、現代社会では、それくらいの音感やリズム感は必要だからというのが社会的なコンセンサスであり、義務教育の役割だ。

<中略>

だとすればコミュニケーション教育もまた、その程度のものだと考えられないか。

コミュニケーション教育に、過度な期待をしてはならない。

第一章 コミュニケーション能力とは何か?

素晴らしい表現ですね。

結局、

コミュニケーション能力というビッグワードをキチンと腹落ちさせようよ

ってことだと思うんです。

もちろんその能力だけで一流とされる、
どこへ行っても誰といても上手く出来てしまうコミュニケーション能力の人もいると思うんです。

でも別にそれだけじゃないでしょうと。

相手の背景、状況を理解して、
こちらが伝えなければならない方法を
比較的ベターな方法で伝える。

コレがあればコミュニケーション能力はあると言えるでしょう。

算数って言っても別に4桁×4桁の暗算が出来なくても良い。

なんなら7の段をうっかり忘れちゃって、7×4=??あれ?
ああシシチ28(4×7=28)かあ。

でも良いじゃないですか。

本当はこう言った方が良かった
若干変な受け答えになった

でも相手を慮る気持ちが相手に伝われば良いじゃないですか、と。

そんな風に感じられる様になりました。

いつでも誰とでも、
30分経ったら肩組んで歩いてる

とかそんなことばかりじゃないでしょう。

社会が期待しているのは。

そう言った我々が持っているコミュニケーションへの幻想、或いは足枷を、絶妙に面白く、かつロジカルに表現され続ける本でした。

さすが表現者なんですよね。
例えや状況描写がいちいち分かりやすい。

そうだよなー、そうかー、の連続です。

そして、これまでの人生で感じていた違和感をスッと腹落ちさせてくれます。

現代を生き抜こうとするどんな立場の人にもオススメです!!

Have a good day!!

最後までお読みいただきありがとうございました。
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