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「『門』-夏目漱石の参禅-」(新宿区立漱石山房記念館)

夏目漱石と禅という切り口から、展示を行っていたので行って来ました。
漱石山房記念館は、漱石が亡くなるまで過ごした家、漱石山房の跡地に、当時の家の一部を再現した資料館です。
漱石の直筆の手紙や、趣味で描いていた水彩画や水墨画などが展示されていました。
芥川龍之介の直筆の和紙で墨書きされた手紙なども展示されており、かなり達筆で几帳面な文字で書かれているのが印象に残りました。

そういえば、最近はどこに行っても海外からの観光客がいる印象でしたが、この資料館には海外からの観光客は全くいないのも印象に残りました。漱石は日本では文豪と呼ばれ、お札にもなっていますが、海外的な知名度のなさというのは、こういうところからも伺い知れたりしました。
とはいえ、展示にはそれほど沢山ではないにしても観覧客がいて、その4割くらいが20代前後くらいの若い女性というのも印象的でした。
講演会の方は、高齢者も多かったです。ちなみに講演会が始まってから座席についた高齢男性は、席についてから20分程で、眠っていました。


この資料館に来たきっかけは、夏目漱石の参禅をテーマにした講演会があるとのことで訪れました。
講演は、漱石が参禅していた臨済宗の管長の横田南嶺という人のものでした。
お坊さんということでしたが、大学の総長をやっている人ということもあってか、かなりアカデミックに系統立てた話し仕方をされていました。
とても話慣れている人で、話し口調は落語家か講釈師のようなわかりやすく張りのちょっとしゃがれた感じが印象に残る声でした。
そういえば臨済宗では葬儀の時に、びっくりするような大声で喝を入れるとのことで、声もそうした感じになっているのかも知れないなあと思ったりしました。
今回の講演の中にも、もともと臨済宗は、武士や上流階級の宗派だったそうですが、徳川が幕府を江戸に置いた時に土地を没収されたりして勢力が弱まったのだそうです。
その時に没収されたのが、今の銀座などの一等地になっている広大な敷地で、徳川家に没収されてなければ、物凄い財産になっていたのだとか。
徳川家自体は浄土宗や天台宗に手厚かったみたいな話を読んだような…
そんなこともあって禅宗は、明治政府になってからは、いち早く上流階級以外の知識人や庶民階級にも参禅の方法を説くようになり、それが鈴木大拙やその他の参禅者を生み出し…
漱石もその中の一人だったとのことでした。
臨済宗系ということで、中国との直接の交流の中で教団やその教えを根付かせていった宗派ということもあり、他の日本の仏教教団との違いなども反映しているのだろうなあと思ったりしました。
考えてみると、漢学や漢詩にも造詣が深かった漱石が、その考え方に惹かれていったのも、そうした禅宗の成り立ちから来ているのかも知れないと感じました。

漱石自体は鎌倉円覚寺で10日ほど参禅し、悟りは開けなかったとのことでした。
まあ、どう考えても俄かで10日坐禅を組んだところでどうにかなるとも思えないのですが…
横田管長のお話では、夏目漱石が教えを受けていた当時の禅は宗と時代のかなり難解になった禅で、それ以前の唐の時代のプリミティブ(?)な禅だったら、禅に関する捉え方が随分と違ったものとなっていたのではないかとの話をされていたのが印象に残りました。

帰りに、記念館の中にあるカフェで、空也もなかセット、最中とコーヒー(グアテマラ マリアージュ)のセット(800円)を注文。
チケットを購入した時に貰った50円の割引券を使用しました。
コーヒーは、特別美味しいということも不味いということもなく普通な感じでした。
とはいえ、漱石が好きだった(?)最中とコーヒーはよく合っていて美味しかったです。
(以前は最中はあまり得意ではなかったのですが、最近は最中もコーヒーと合わせると美味しいなあと感じます…おっさんになってきて、味覚が変わって来たんでしょうかねえ)
カフェは清潔感があって、のんびりできる感じでした。

資料館自体は住宅街の一角にあるのですが、帰りにちょっと歩いて大きな道路に出たらすぐ近くに草間彌生美術館がありました。
明治大正の頃の雰囲気を伝える漱石の資料館のすぐ近くに、現役の現代アートティストの美術館があるって、結構不思議な感じだなあと思ったりしました。

https://soseki-museum.jp/tenji/10565/

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