我々は、何処から来たりしか。何者なのか。何処へ帰還すべきか。
または、若き天才、マーニー・ハイイエの光と闇
マーニー・ハイイエは、3世紀、正確には、216年4月14日、メソポタミア平原南部のバビロニア地方マルデァーヌ村で、パルティア貴族の父と、パルティア王族の母との間に生を受けた。
東アラム語と中世ペルシア語で羊皮紙に書かれたマーニー教の諸経典は、若きマーニーの天才的頭脳によって組み立てられた、「人工の宗教」である。
光と闇の闘争であるマーニー教は、一時は、世界宗教として、メソポタミア地方だけでなく、中国、アフリカ、インド、ヨーロッパ