8. 客観視すること
①優先順位がつけられず、計画的行動が苦手
②ボーッとしがちで周りのペースについていけない
③整理整頓・片付けが苦手
これらは、不注意優勢型ADHDの代表的な症状とされている。
解説書などに載っている自己診断チェックリストにも、だいたい以上のような項目があるのだが、発達障害を疑いはじめた当初の私は、これらの設問にはチェックを入れず、すべてNOと、頭の中で以下のように回答をした。
①いいえ、いつ何時も優先順位を考えTo Doをこなしていますよ。
②どちらかとえばせっかちでボーッとなどはしていないと思いますが。
③整理整頓や片付けは、むしろ得意なので全く当てはまりませんね。
ところが、それは大間違いで、正しくはこうだった。
①優先順位をつけられておらず、計画が成り立たっていない。
②明らかに動きが緩漫で、ボーッとしている時も多々ある。
③整理整頓・片付けの作業効率が悪すぎる。
これらのことにまったく自覚がなかったのだから酷い。セルフチェックなんて本当にあてにならないものだ。どうやって自覚にいたったかというと、自分がADHDであるのか半信半疑で受診した病院で、医者に「優先順位のつけられていない喋り方」と指摘されて私はハッとした。それで、自分の行動を客観視するために、他人との会話を録音し、家での様子を録画してみたのである。
すると、そこには意外すぎる自分がいるではないか。なんだこりゃ。
話は飛びがちで間延びして、フワフワしたキレのない動きで無駄にうろうろしていて、まるでのろまな動物のよう。はぁー、なるほどねぇ。
と、はじめて、思っていたのと全然違う自分の姿を自覚したわけである。
うーん、そういえば。
たしかに、幼少の頃は終始ぼんやりしてたかも。幼稚園のお遊戯で周りの子の動きについていけずにオロオロした記憶もある。小学生の頃、夏休みの宿題を溜めこんで大変なことになっていたのは計画的行動が苦手なせいなのか? それに、机の引き出しやランドセルの中に物をたくさん詰め込んでしまってぐちゃぐちゃだったし、高校生くらいまでは部屋の片付けの件でよく叱られたな。
あれ? どのタイミングで片付けが得意になったんだっけ。 それに、一体いつから、自分をこんなにしっかりした人間だと勘違いする様になったのだろうか?
しかし、不注意優勢型ADHDの典型といえば、「ドラえもん」の、のび太。と、よく言われる。まさか、私がのび太とは。そんなはずはないだろう。
ともかく、詳しく検証する必要がある。
まずは、上記の3つのような問題の起こる原因と、それに無自覚なADHD人の日常が、どのようなものなのかを見てみるとしよう。
まず、①番目の、優先順位がつけられない件。
ADHDは外的な刺激に敏感で、目に入ってきたものすべてを第一優先事項と認識して反応する特性があり、それが優先順位が付けられないことにも繋がっている。
ADHD人は、家事や仕事などの日常生活においても、細かいことによく気が付くのはいいのだが、気がついたことをすべて遂行するという無謀な行動に出るのである。故に、To Do 項目があまりにも多い。普通であれば、それ、必ずしも今やらなくていいんじゃない? と、思うようなことを、あたかも必須であると認識してしまい、スルーができない性質なのである。
また、衝動性が強いあまり、その都度、目についたことに手を付けるので、計画を立てたところでその通りには進まず、大抵は破綻することになる。
えーっと、まずはあれをやって、その次にこれとこれを処理して、おや、こっちが片付いていない、おっと、あれもやっておかなきゃ……。こうして、ADHD人は、永遠とタスクを立ち上げ続けるのである。
さらに、ADHDに加えてアスペルガーでもある私は、物事の順序にいちいちこだわり、マイルールやルーティーンから外れたことが大嫌いであるから大変だ。
膨大なタスクをこなしながら、これをやらなければ気が済まない、それの置き場所はここじゃない……。と、終始、神経を尖らせるのである。これでは日常は廻らなくて当然だ。
要するに、無駄に疲れるばかりで生産性が低いのである。
次に②番目、ペースが鈍い件。
これは、「処理速度(PSI)」の遅さに由来するもので、不注意優勢型ADHDの代表的な特性といえる。
発達障害の診断材料として、知能検査(WAIS-Ⅲ,Ⅳ)を用いて、知能の凹凸を見ることが多い。不注意優勢型ADHDは、その中の「処理速度」という項目が、他の項目と比べて極めて低いことが挙げられるが、これは、思考のスピードと動作にギャップがあることを示している。
緩慢な動作に対して頭は高速回転しているので、このタイプのADHD人には、考えているほどには物事が進まず、いつの間にか膨大な時間が過ぎている、という現象がたびたび起こるわけだ。
(ちなみに、知能検査では、言語性IQと動作性IQの間に15以上の開きがあると発達障害傾向とみなされることが多い。私は、最大37の差があり、やはり「処理速度」がとても低かった。)
側から見ると明らかに遅いのだが、本人は一生懸命なので、むしろ休息や余裕を持とうとしてさらにタスクを増やしたり(丁寧にコーヒーを淹れてゆったり飲むとか!)、緩慢な態度を助長させる真逆の努力をしはじめることもある。
また、作業をしていても、いつの間にか意識が遠くに飛んでいて、ふと気がつくとうわの空、なんてことも多々あるので、結果、まったく課題が進まないことに焦って、遅れを取り戻そうと夜更かしをしたりして生活のリズムが狂いがち。
要するに、無駄に疲れるばかりで生産性が低いのである。
続いて③番目、片付け問題。
ADHDが、片付けが苦手とされる根拠は①と②に重なる部分が大きい。
といっても、私の家の中は常にすっきりと整っている。片付けが苦にならないどころか、片付けマニアと言っても過言ではないくらいで、ストレス解消になっている面もあるのだが、それは良しとして、やり過ぎることに問題がある。
まず、気になってしまったら無視できない。ごちゃごちゃと物が多いのが苦手で、何かにつけて物を捨てたがるのだが、例によって要不要のジャッジが苦手だ。
とくに関心がなかったり気に入らないものは容赦無くゴミ箱に放り込むが、こだわりのあるジャンルの物に関しては、吟味を重ね、可能な限りの保存方法を模索する。結局捨てるまでにいちいち悪あがきするので、判断にかなりの時間を要するが、没頭しはじめたら、なかなかやめられないのがADHDだ。
さらに、本の並び順や食器の重ね順等々にこだわって、いちいち細かい要求を出してくる私の中のアスペルガーにも対応しながら、合理的な配置を熟考し、美意識を働かせ、納得のゆくまで行われるので、時間はあっという間に過ぎるのである。
でも、そうして完璧なまでに整えたはいいが、ただでさえ探し物の多いADHDにとって、収納場所やレイアウトの変更は致命的。アレどこだっけ?と探す度に、整理整頓をはじめたい衝動に火がつくことになるのだ。
要するに、無駄に疲れるばかりで生産性が低いのである。
どうだろう? まとめると「無駄に疲れる」の一言に尽きるが、私のようなADHDの頭の中で何が起こっているのか、多少は解っていただけただろうか?
定型発達の人が、そつなく行っていることに膨大なエネルギーを注いで取り組み、なおかつ成果が上がらないという、残念すぎるADHD人。こんな毎日は、けっこうキツく、疲弊と、自己嫌悪を募らせている人が、他にもたくさんいるはずだ。
しかし、ADHDでも、さほどこれらのことを苦にしていない人もいる。
すべての課題をこなせなくても、多少部屋が乱れていても、ちょっと周りとテンポがずれていても、自分自身がそれを大きな問題と捉えていなければ、こんなにエネルギーを消耗することもないのである。
無駄に疲れるのは、そもそも、できないことをやろうとしているからだ。
私がこれほど、ストイックに自らにTo Doを課し、片付けマニアになったのは、よくよく考えると、劣等感によるものが大きい。
「アナタはルーズでだらしない」「もっとちゃんとしなさい」という、母親の言葉の影響は、根深く強いものがある。
話し方や動作についても、アスペルガーが目立った幼少期に、母親から「ワガママ」「物言いがきつい」「人の言うことを素直に聞けない」などと頻繁に指摘されたことが効いている。何かの琴線に触れると一方的に捲し立てるように喋り出すこともあるのだが、そんなときは「芝居がかって大袈裟」とあしらわれた。
それ故、大人になってからは、角が立たないよう明言を避け、人の話を遮らないようにワンテンポ置いて、物腰柔らかい丁寧な所作をする努力を心がけてすらいたのである。(いったいどれだけ緩慢なのか)
自分はだらしのないダメな子。身勝手な子。だから、もっと、しっかりした、やさしい穏やかな子にならなければいけない。成長過程で刷り込まれたそんな強迫観念に、私は長らく縛られていて、いつしか、優秀で温和で、身の回りがいつも小綺麗な人物になることをミッションとして自分に課していたらしい。そうして、欠点克服のために過剰にエネルギーを使い、挙句に、自分にそんな欠点があったことすら、忘れてしまっていたのである。
しかし、所詮は、無理の積み重ねである。
いつもイライラして疲れ切って、気がつけば、あれ? 理想と正反対……。
「苦手なことにエネルギーを注がない」
最近の優れた発達障害の解説書には、必ず書いてあるアドバイスだ。
しかし、そもそも苦手の自覚がなければ、元も子もない。
自分の得意・不得意を客観的に自覚することができて、はじめて改善や、無駄な苦しみを手放す方向へと舵をとることができるのだ。
いくら人格矯正を試みたところで、私の本質は、所詮のび太である。
それがわかったのは大きな前進だ。
しかし、のび太をナメてはいけない。長編になるとヤツは途端に活躍するのだ。
幸いにも、長年ミッションに取り組んできたおかげで、私は、のび太の割には生活能力も社会性も整理整頓能力も身につけることができた。
あとは、長編という舞台を設定するだけである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?