過去の自然災害から学ぶ(その1) 江戸時代から伊勢湾台風まで

はじめに

台風第9号、第10号の接近に際して、過去の台風を例にとって、何回かnoteに投稿しました。この元ネタに相当するものを今回は掲載します。実は、ブログからnoteへの移行中で、最近投稿した数値予報関係のnoteもそうなのですが、もともとブログに掲載したものを一部手直ししてnoteに投稿しています。この投稿もその一環ですので、ご承知おきください。

withコロナ、世界どの国もあまり経験のない中での対応で苦労しています。過去の経験として、約100年前のスペイン風邪の教訓を改めて確認したり、さらにペスト(黒死病)の歴史を紐解いてカミュのペストを読まれた方も少なくないと思います。感染症の場合には、比較的長いタイムスケールでの展開になりますので、世界のどこかで始まってから一生懸命勉強するということでもある程度は間に合う部分もあるのかもしれません。しかし、自然災害ではそれを経験する時には、過去のことなど勉強する余裕がないまま、判断を迫られることが普通です。昨年の台風第19号(気象庁はのちに令和元年東日本台風と命名しています)による大雨では、あわてて居住地のハザードマップをネットで見に行こうとしたらアクセス集中で見られなかったということもありました。私の経験では、他人からの情報を受けてその方の住む地域を調べようとしたら、こんな状況でした。

昨年の東日本台風では、狩野川台風という昭和33年の台風を例に出して大雨への警戒を気象庁は呼びかけました。狩野川台風自体を地元の方々以外にはあまり知られていないのとその地元の狩野川流域では大きな被害にならなかったこともあり、この例示が良かったのか、という議論もあります。https://note.com/tenkiguma/n/n511cfb9a653e 
気象の専門家にとってみれば、狩野川台風は大雨をもたらす台風の象徴のような存在だったのですが、市民にはその意味が伝わらなかったという、コミュニケーションギャップがあったのは確かだと思います。

台風接近時に過去台風を例示することについての議論はさておき、パンデミックでスペイン風邪を教訓としたように、過去の大きな災害については、防災関係者はもちろん、国民もある程度の知識を持っておくことが、災害大国日本で生活する住民として重要ではないか、というのが私の持論です。これはかなり大きなテーマでもあり、ほんの触り部分にすぎませんが、導入的な解説をしてみたいと思います。まずは、日本で過去にどんな自然災害があったのか、私の独断と偏見で作成した年表なのですが、それを使って解説をしてみます。

明治以前の自然災害

自然災害の中でも、地震、津波、火山は、大きな災害をもたらす一方で、その頻度はそう多くはありません。また、被害状況や目視から震度や噴火状況等の現象のレベルがある程度推定可能であること、一方気象のように物理法則で予測することが困難であることもあり、過去の現象を地質学的調査や古文書調査などにより現象の発生日時、規模を推定することが古くから行われています。こうした過去のデータをもとにどの程度の周期でどの程度の現象が発生しているのかを知り、それで今後のリスクを判断するわけです。こうしたことから、近代的な気象観測が開始される前の江戸時代以前では、地震火山災害の歴史の方がよく知られています。

下記が江戸時代以降から明治までの主な災害の年表です。赤字で示した災害については、下記リンク先の内閣府のHPの災害史のページに詳しい報告書がありますので、参考まで。

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甚大な自然災害 江戸時代から明治時代まで

実は江戸時代に入る直前に、天正大地震がありその後1596年に慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震と続いて、慶長という年号に改元されています。大河ドラマでもよく取り上げられる激動の時代でもあり、こんな大災害の頻発が時代に与えた影響もあるのかもしれません。幕末にも、大きな地震が次々と起こり、さらに東京湾に高潮をもたらした安政3年の大風災、安政江戸地震に引き続いて発生したからなのか、世情が不安定だったからなのかわかりませんが、犠牲者の数も定かではないようです。さらにこの2年後、江戸を感染症コレラが襲いました。江戸時代前夜、明治維新前夜、ともに政治の大変革と自然災害で大変な時代であったことがわかります。

この表から、何千人を超えるような犠牲者を出す災害の多くは、津波と高潮であることがわかります。低頻度ではあるのですが、海の水が押し寄せることの破壊力が凄まじいことがわかります。津波は、揺れたら逃げろ、とよく言われますが、そうではない津波が大きな災害となっていることも忘れてはなりません。この表の慶長地震、明治三陸地震津波、明和の大津波、いずれも揺れは大したことがないのに、大きな津波が発生した津波地震と呼ばれる事例です。さらに1792年のいわゆる「島原大変肥後迷惑」に至っては、島原半島の山体崩壊に伴って海に流れ落ちた土砂が対岸の熊本に津波の被害をもたらしています。このような津波災害は実はそう珍しくなくて、2018年にインドネシアで起きた2つの津波もそれぞれ海底地滑りと火山の山体崩壊が大きな津波の要因となったようです。
https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_int_indonesia20181024j-03-w390 https://www.asahi.com/articles/ASM1Q61RXM1QULBJ01J.html
それこそ、隕石が海上に落ちても大きな津波が発生する可能性がありますので、まあ、どこまで心配したら良いのかキリがありませんが、普通の津波対策も兼ねて海岸近くでは高台を常に意識しておくことは重要でしょう。

1828年のシーボルト台風、しっかりした記録の残っている風水害としては、最も多くの犠牲者を出した台風です。長崎滞在中のシーボルトが近代的な観測記録を残していることでも知られています。この台風と高潮被害については、佐賀地方気象台長時代に古文書等の解読により調査を進めた小西さんの報告があります。風水害関係で古文書を解読してさらにそれをシミュレーション技術等を駆使して科学的に分析された貴重な論文です。この台風についてはnoteでも紹介しました。
https://note.com/tenkiguma/n/n311b0018a911
小西さんの報告は下記にあります。
https://www.metsoc.jp/tenki/pdf/2010/2010_06_0015.pdf

江戸時代は、関東平野にとっては、富士山と浅間山の噴火により、火山灰や泥流で火山から遠い地域でも大きな影響を受けたことも忘れてはなりません。また、善光寺地震がその典型ですが、地震や火山の活動により河川が堰き止められ、それが決壊するなどにより水害をもたらすことも少なくありません。このような災害については、地震と大雨が重なるという意味で、複合災害と呼ばれることがあります。

明治時代には、大水害もいくつかこの表に掲載されています。十津川村水害、奈良県の十津川村が大水害により壊滅的な被害を受けて、住民の多くがこの地を離れて北海道に移住し新十津川村という村を作ったことでも知られています。2011年の台風第12号では、記録的な大雨が再び十津川村など紀伊半島で降り、紀伊半島大水害とも言われる水害となり、深層崩壊と呼ばれる大規模な土砂災害が多発しました。台風が四国に南から上陸して中国地方を横断して日本海にゆっくり北上していきましたが、実は明治の十津川村水害も同じようなコースの台風で発生していました。

明治の後半、明治29年、43年と首都圏を大水害が襲います。利根川、荒川、多摩川が氾濫して東京の下町をはじめ多くの地域が浸水しました。水害対策として河川改修が進められ、特に荒川は荒川放水路の整備が進められることになりました。

大正時代から伊勢湾台風まで

表を見れば分かる通り、この50年間は大きな自然災害が数多く発生しました。都市化の進展や戦争に伴う社会インフラの荒廃など社会的な背景で災害が大きくなったという面と実際の自然の外力が大きかったという面と両方があるように私には思えます。また、これらの顕著な災害を教訓として、日本の災害対策の強化がハードとソフトの両面で進められたことを忘れてはなりません。

甚大な自然災害 大正から伊勢湾台風まで


大正元年の台風、あまり知られていないのですが、各地の測候所の最低気圧の観測結果から見て、室戸台風や伊勢湾台風と匹敵する勢力だったものと推定されます。室戸台風や伊勢湾台風ほどの被害にならなかった大きな要因は、顕著な高潮被害が発生しなかったことです。そのコースや満潮時とのタイミングの関係、さらには都市部での地下水の汲み上げによる沖積平野の地盤沈下がまだ深刻ではなかったこともあるのかもしれません。

大正6年の東京湾を襲った台風では上陸がもっとも潮位が高い大潮の時期の満潮時と重なり、東京の下町から千葉県にかけての沿岸は顕著な高潮に見舞われました。千葉県のホームページに「十五夜に海が襲ってきた、-恐怖の高潮災害「大正6年の大津波」と後世に伝える資料が掲載されています。十五夜の満月はまさに大潮のタイミングであることを示します。また、大津波、という言葉で語り継がれているのも、高潮より津波の方が国内の災害としては頻度が高くその言葉がわかりやすかったのでしょうし、被害の状況もそっくりだったからだと思います。
https://www.pref.chiba.lg.jp/bousai/bousaishi/documents/dai2syou_3.pdf

その6年後、関東を大地震が襲いました。犠牲者の数として、日本の自然災害史上もっとも多い数となりました。特に東京の下町では火災による犠牲者が多かったのですが、地震発生時に台風が日本海沿岸を北上中で、これに向かって強い南風が吹いていたことで火災の規模を拡大したと推定されます。これも広い意味での複合災害と言って良いと思います。家屋倒壊と火災のイメージの陰であまり知られていないのが土砂災害と津波です。神奈川県を中心に1000人くらい、土砂災害と津波が原因の犠牲となっています。

この2つの首都圏の大きな自然災害の間に、スペイン風邪の大流行がありました。これらの災害と感染症の大流行が重なったとするともっと大変なことになっていたかもしれません。また、明治43年の大水害以降、荒川放水路の整備が進められましたが、これらの災害のためその進捗が遅れて、完成は大正年間をまたいで昭和5年となりました。

昭和に入って、日本本土に上陸した中での最強の台風、室戸台風の襲来がありました。この記録的な台風を教訓に様々な防災の取り組みが進められています。さらに1938年の梅雨前線豪雨、阪神大水害と呼ばれることもあり、その水害の状況は谷崎潤一郎の「細雪」に詳しい描写があります。1995年の阪神淡路大震災とこの水害の被災地域が重なるという指摘もありました。六甲山に行かれた方はご存知でしょうが、この山は崩れやすい花崗岩地質でもあり、たびたび大きな水害に見舞われています。この災害を受けて、国直轄での砂防事業が開始されて今も継続中です。

台風や梅雨前線による豪雨災害は、この期間、千人を超える犠牲者を出すことも珍しくありませんでした。利根川を決壊させて昔の川筋を氾濫水が東京の下町まで流れ下ったカスリーン台風、この浸水規模は明治43年の大水害以来と言われています。ただし、犠牲者の多くは、群馬県、栃木県での土砂災害による被害であることも忘れてはならないと思います。終戦直後の枕崎台風については、柳田邦夫氏の「空白の天気図」でも詳しく触れられています。

大きな豪雨災害が頻発した昭和20年代の中でも、昭和28年は、千人規模の犠牲者を出す豪雨が2回も発生しています。それに加えて南山城の局地的豪雨、それと台風第13号の大雨洪水、高潮災害でも大きな災害が発生して、この年が風水害の当たり年だったことがわかります。平成16年もそうだったのですが、大きな自然災害が相次いで発生する年にはどんな特徴があるのか、これも追求すべき研究テーマのように思います。

そして冒頭に述べた狩野川台風、南海上で877hPaという最低気圧を記録した猛烈な台風だったこともあり、暴風や高潮に警戒されていたのですが、北からの寒気の影響で上陸直前に勢力は弱まったものの、その寒気の上に台風を取り巻く暖気流がのし上がる形で記録的な大雨をもたらしました。狩野川流域での壊滅的な被害のほか、東京での日降水量371.9ミリは今でも第一位の記録です。

地震についても、1943年の鳥取地震から1948年の福井地震まで6年間で5回も1000人以上の犠牲者を出す地震に見舞われていて、戦国末期や幕末以上に被害地震の頻発した時期と言えます。枕崎台風とカスリーン台風さらには昭和28年の大きな豪雨災害等、戦争による社会基盤の荒廃等の背景があったのかもしれませんが、自然災害が集中した時期が戦中戦後の混乱期と重なっていました。社会基盤の荒廃だけに顕著な自然災害の原因を求めて良いのか、実際の自然の外力もこの時期に顕著だったのではないのか、という観点でもっと調査すべきだろうと思います。

1959年の伊勢湾台風は、明治以降の風水害の中で最大の犠牲者を出した大災害です。津波や高潮といった海に起因する水災害は、海が巨大な水のかたまりであるが故に外力に応じて破壊力がいくらでも大きくなり得ますので、極端な外力に対して被害が非常に大きくなることがあります。伊勢湾台風をきっかけに、災害対策基本法が制定されて、日本の防災の基本方針が示されるとともに、東京湾などの主要港湾では伊勢湾台風並の高潮を基準に防潮施設の整備が進められることになりました。

気象研究所にも台風研究部が新設されて台風に関する研究が強化されましたが、伊勢湾台風からほぼ50年後、気象再解析という手法により、最新の技術を活用して当時のデータを解析して伊勢湾台風を再現する試みもなされました。高潮の状況も含めて伊勢湾台風が再現されることで、どんなメカニズムでどんなことが起きていたのか、今後同じような台風が接近する場合にはどう備えるべきか、という観点で参考になるものです。https://www.metsoc.jp/tenki/pdf/2010/2010_04_0057.pdf
なお、この気象再解析について気象庁で現在JRA-3Qと呼ばれる新しい全球再解析のプロダクトを作成中です。この新しい再解析では伊勢湾台風からさらに遡ってカスリーン台風の時期まで再解析することになっていて、この時期の風水害の調査がさらに進むことを期待しています。

まとめ

ここでは江戸時代から伊勢湾台風までの自然災害から学ぶべきことをいくつか整理してみました。この時代の自然災害を振り返るに当たっては、注意すべき点として大きく2つあると思います。

まず第1に、自然災害に対するハード防災インフラが今とは大きく異なることがあります。日本の偉大なる土木技術がこの脆弱な国土を大きく変えました。そして、第2に近代的な科学技術の進展とともに観測から予測、そして情報伝達といったソフト技術も大きく進展しています。これらのことから、今、同じ現象が起きても同じ災害が起きるわけではない、ということは確かで、ここはしっかり認識しておく必要があります。

一方では、近年の災害から学習したこととして、科学技術やハードインフラが発達したからといって、必ずしもそれで完全に守られるわけではない、ということです。ハードインフラの整備が進んでいないところもありますし、1000年に一度など低頻度の現象への備え、さらには地球温暖化に伴う低頻度の現象の高頻度化への備え、といった観点を持つべきですし、また気象予測や津波予測、緊急地震速報、火山噴火予測、いずれも不確実性は今でも少なからずあります。

先ほどの注意点を踏まえた上で、この時代の災害を振り返って参考にするということは重要だろうと思います。500年に1度の現象は、この数10年で経験することはなかなかありません。もちろん、大アンサンブルによる気候予測シミュレーションで理論上は千年に1回の現象も計算上は出てきます。でもそれはあくまでも仮想のシミュレーションの世界であり、現実のものではありません。

そして、災害の起こり方には、全く同じではなくとも何か共通するものがあり、当時の対応を含めてそこに学ぶべきものは少なくないと認識しています。例えば、海の水が押し寄せる津波、高潮災害がいかに甚大な被害をもたらすか、複合災害にはどんなものが考えられるのか、これは今にも通ずる観点が少なからずあります。科学を信頼しつつもそれを過信してはいけませんし、自然の恐ろしさには常に謙虚に向き合いたいと思います。


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