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お味噌仕入れ

4月は味噌を仕込む季節だった。「お味噌仕入れ」と呼ばれていた。
子供の頃の私は「オミソシイレ」が何のことか、よく分かっていなかった。

匂い

4月になると、奥座敷から麹の匂いがする。
新聞紙の上に大量の麹が広げてあった。ぽろぽろにほぐしてある。
庭には大きな穴が掘られ、「ぐりとぐら」に出てきそうな大きな鍋が据えられた。朝になると、その鍋いっぱいに大豆が煮られ、湯気を立てていた。
豆の匂いが漂う。柔らかく煮えた豆は美味しい。
味噌蔵にはよく洗った味噌用の樽が据えられ、その横にブルーシートが広げてある。味噌独特の匂いがする。

こねる

ブルーシートの上には大きな道具が設置されている。パスタマシンのようなものだ。豆をすくっていれて、取っ手をまわすと押しつぶされた豆がにニョロニョロ出てくる。これは楽しい。子どもの仕事だった。ニョロニョロ出てきた煮豆の上に塩と麹をかける。更にバケツいっぱいに用意した祖母特製の甘酒をかける。これらを皆でぐいぐいと混ぜ合わせていく。
「オミソシイレ」の日には親戚も手伝いに来た。ブルーシートにぐるりと座り、皆で混ぜていく。私と妹にとっては粘土遊びのようなものだ。雪だるまならぬ味噌だるまを作ったりして遊んでいた。一応混ぜていることになるのか、それほど𠮟られなかった。

まるめる

ほどよく混ざったところで大きなボール状にする。ホイ、ホイ、と味噌樽につめていく。味噌樽の横に塩漬けのきゅうりと細いごぼう、昆布があり、味噌ボールと一緒に入れていった。どのくらい混ぜたらボール状にするのか、どのタイミングできゅうりや昆布を入れるのか、このあたりは祖母の判断であり、子どもの私にはさっぱり分からなかった。これで、1年分の味噌を仕込んだことになる。

味わう

小学校の遠足の持ち物にはなぜか、きゅうりと味噌があった。水分と塩分補給という意味だったのだろうか。
互いの味噌を交換して味見した。「これ、うちで作ったんだよ。おいしいよ」と一言添えて。みんな、自分の家の味噌が一番美味しいと思っていた。私もだ。
こういうのを「手前味噌」というのだろう。
母は、きゅうりとごぼう、昆布をみじん切りにして、しょうがのみじん切りと一緒にあえて食卓に出してくれた。あれはおいしかったなあ。

思い出

祖母が弱ってくると味噌を仕込むことはなくなった。今はもう、近所に味噌をしこんでいる家はない。共同で順番に使っていたという大鍋や豆をつぶす道具は、今どうなっているのだろう。
今は市販の味噌を使っている。特にメーカーを決めてはおらず、適当に買ってくるのだが、ある時、あの手作り味噌と同じ風味の味噌があった。「生味噌」とあった。私は懐かしかったが、家族からは不評だった。風味が強すぎるらしい。
味噌蔵の前を通る。かすかに我が家の味噌の匂いがする。オミソシイレを思い出す。

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