たか

めんどくさがりですが、食べることになると多少の手間がかかってもできるようです。 …

たか

めんどくさがりですが、食べることになると多少の手間がかかってもできるようです。 幼い頃食べた昭和の味、母と一緒に作った平成の味を経て、新しい味、伝統の味に挑戦中です。

最近の記事

「ラモックス」を思い出す

怪獣のラモックスに出会う 子供の頃、SF小説が大好きだった。きっかけは前回書いた。 特に小学校の図書館は素晴らしかった。いろいろな学齢の子どもに読めるように、様々なレベルの子供向けSF小説が置いてあった。挿絵が多い、ざっくりした内容の本を読んだ後、別のシリーズでもう少し細かく読むこともあった。 その中でも、今でも私の好きな小説が「ラモックス」である。小学校の図書館には「宇宙怪獣ラモックス」という題名で置いてあり、表紙には恐竜の親戚みたいな宇宙怪獣ラモックスの姿が描かれてい

    • 過去を語らない祖母

      学生の頃、中国人留学生の友人を我が家に招待した。まずは母の実家に寄り、母方の祖母と、祖母と同居している叔母に会ってもらった。次に我が家。父方の祖母と母に会ってもらった。 後日、この友人は言った。「あなたには悪いけれど、あなたの家のおばあさん(父方の祖母)とお母さんは嫌い。でも、あなたの母方のおばあさんと叔母さんは素敵。2人とも自由な人たちだ」 鋭い。母方の祖母の話をしたい。 母方の祖母はおだやかな人である。怒られたことはない。料理も得意だったと思うが、おやき以外の祖母の手料

      • SF小説との出会い

        みかん箱 子供の頃、盆と暮れには親戚が集まった。その時、叔父たちはみかん箱くらいの大きさの段ボール箱を車から下ろす。父も段ボール箱を持ってくる。3人で中身を確かめ合う。 中に入っているのは文庫本だ。白いカバーがかけられているので中身は見えない。(ちなみに白いカバーはカレンダーを裏返しにしたものである。こういう細かい作業が得意な叔父の手によるものだと思われる。) 3人は互いの本を交換する。そして読みふける。 何もない田舎である。ずっと畑仕事をするわけにもいかず、ずっとテレビを

        • 草取り道

          草取りの季節到来!! 春になると、あっというまに草取りのシーズンがやってくる。ちょっと前まで寒々しかったところが青々としてくる。 このところ、草取りの話題をあちこちで目にしたので、私も草取りのことを書いてみよう。 祖父の草取りは鎌研ぎから始まる 祖母は祖父のことを「受験生を下宿させているみたい」と言っていた。勉強、趣味、仕事、ペットの世話など、自分の仕事を自分の計画に従ってやっていく。草取りは祖父のスケジュール帳に記入されていたとは思えない。 そんな祖父でも、時には草取

        「ラモックス」を思い出す

          「魯肉飯のさえずり」

          八角の悲しみ 温優柔さんの「魯肉飯のさえずり」という小説を読んだ。中国語、台湾語、日本語が飛び交う。台湾から来日し、日本人と結婚した李秀雪と、その娘の桃嘉の物語である。 日本語では自分の気持ちをうまく伝えられない秀雪。桃嘉は、そんな母に対して複雑な感情を持つ。娘の視点から書かれている章と母の視点から書かれている章が交互に続く。どちらの気持ちも分かる。悪意があるわけではないけれど、無神経な周囲の人々の言葉もつらい。ぐいぐいと引き込まれ、一気に読んだ。 話の中で、「魯肉飯」は大

          「魯肉飯のさえずり」

          どんだけ音楽好きなんだよ

          「どんな習い事をさせようか」  子どもが成長するにつれて、多くの親が悩むことだと思う。  私自身は子供の頃、音楽教室に通っていた。練習は嫌だったが、演奏自体は楽しかった。グループレッスンで知り合った友達と、待ち時間に遊ぶのも楽しかった。  というわけで、幼い息子に、音楽教室のレッスンを体験させた。息子の反応は薄かった。拒絶したわけではなかったが、特に面白そうでもなかった。全然決め手にならない。  「男の子の場合、はじめから喜んで通う子ばかりではないですよ。試しに入会してみて

          どんだけ音楽好きなんだよ

          お味噌仕入れ

          4月は味噌を仕込む季節だった。「お味噌仕入れ」と呼ばれていた。 子供の頃の私は「オミソシイレ」が何のことか、よく分かっていなかった。 匂い 4月になると、奥座敷から麹の匂いがする。 新聞紙の上に大量の麹が広げてあった。ぽろぽろにほぐしてある。 庭には大きな穴が掘られ、「ぐりとぐら」に出てきそうな大きな鍋が据えられた。朝になると、その鍋いっぱいに大豆が煮られ、湯気を立てていた。 豆の匂いが漂う。柔らかく煮えた豆は美味しい。 味噌蔵にはよく洗った味噌用の樽が据えられ、その横に

          お味噌仕入れ

          春はふき味噌から始まる

          春は苦い。 苦い思い出もたくさんあるが、ここでは苦い食材の話をしたい。 ふき味噌は大人の味 実家の裏庭というか、裏畑(そんな言い方があれば、だが)にはフキが生えている。きっと昔、誰かが植えたのだろう。春が近くなってくるとフキノトウが出てくる。まだつぼみのうちに採ってくる。 子供の頃、フキノトウの食べ方はふき味噌にするだけだった。祖母は何でもたくさん作る主義である。ふき味噌もたくさん作る。朝も晩も食卓にあったが苦かった。美味しいとは思えなかった。美味しいと思うようになったの

          春はふき味噌から始まる

          甘すぎ甘酒

          1月20日は甘酒の日 1月20日は甘酒の日なんだそうである。私も作った。シャトルシェフを使う。うまくいったと思う。いい感じの甘さだ。 しかし、少し残念な気もする。もっとくどい、しつこい甘さの甘酒を作ってみたい。懐かしい味を再現したい。 祖母の甘酒 祖母は4月になると甘酒を大量に作った。甘酒が好きとかそういうことではない。4月には1年分の味噌を仕込む。味噌を仕込む時に麹だけでなく、甘酒も入れる。大きなバケツいっぱい、なみなみと用意した。 祖母が甘酒をどうやって作っていたの

          甘すぎ甘酒

          納戸を発掘した話

          ”納戸”にどんなイメージがあるだろう? 私のイメージだと、作り付けの棚が壁一面についた小部屋である。ここに缶詰や保存食品が整然と並んでいるイメージ。 あくまでもイメージである。そんな納戸を見たことはない。ましてや、かつて我が家に存在した”納戸”はそんな納戸ではない。 北のお勝手 子どもの頃、”納戸”に行くのが苦手だった。その”納戸”のことを家族は「北のお勝手」と呼んでいた。その呼び名は謎だったが、深く考えもせずに受け入れていた。 家の北側にある、だだっぴろい板の間であった

          納戸を発掘した話

          おせちは重箱に入れない

          食べきれないおせち料理……祖母のおせち 祖母はおせちを大量に作った。それはもう何日食べるのかという量を作った。重箱に詰めたりはしない。食事のたびに小皿に分けて盛られた。作ったおせちは鍋ごと保存されていた。 冷蔵庫に入るような量ではない。”納戸”(と便宜上呼んでおく)に鍋ごと置いておくのだ。今よりも冬は寒かった。しかも我が家は古い家だった。「冷蔵庫には凍っては困るものを入れておく」というルールがあったくらいだ。”納戸”は鍋だらけになった。 祖母は商家の生まれである。店で働

          おせちは重箱に入れない

          アポなし訪問

          アポなしが最良?  我が家というか、私の親戚の一部には謎の思考がある。「アポなし訪問が一番良い」というものだ。  「誰かの家を訪問する際に、いちいち前もって連絡するなんて水くさい。第一、前もって連絡したら、掃除をしたり茶菓子を用意したり、大変ではないか。いきなり訪問した方が、お互いに気をつかわずにすんでよいのだ」というのである。  本当ですか? 本当に突然誰かが訪問してきて、気をつかわずにいられますか? そんなわけがないでしょう。  突然「これから行くけど」と連絡が来る

          アポなし訪問

          家族と旅する

          子どもの頃、家族で県外に行ったことはほとんどない。なのに、こんなに豊かな経験があるのはなぜだろう。 祖母と東京に行く……2歳  初めて東京に行ったのは2歳の時だ。祖母が連れて行ってくれた。と言っても私はほとんど覚えていない。後から聞いた話である。  その日、家族(祖父と両親)が出勤すると、祖母はタクシーを呼び、私を連れて駅に行った。30分くらいかかる。そこから特急で3時間で上野駅。動物園でパンダを見せて、お猿の電車に乗せる。また特急とタクシーを乗り継いで帰宅する。何事も

          家族と旅する

          食の力〜祖父の入院〜

          病院は闘病するところであって、療養するところではない。だから、寝具や食事について不平を言うことはよくない。ホテルでのんびり過ごしているのではないのだから。 しかし数十年前、祖父が事故に遭って入院したときの食事は、それにしても変だった。祖父は重傷で、頭蓋骨は割れ、肋骨は折れて肺にささり、足も折れていた。なのに、食事は「ラーメン」や「パン」だったのである。 「胃はなんともないから、ラーメンでいいでしょ、だって。食べれるわけがないよ」と祖母は怒った。不思議な祖父の病院食は祖母の

          食の力〜祖父の入院〜

          ずっと使い続けたシャトルシェフ

           大学生になって実家を出た。家電や調理器具は現地調達のつもりだったが、1つ持っていったものがある。納戸の棚の奥で、箱に入ったまま眠っていたシャトルシェフだ。どこかからもらったものの、祖母や母にはいまいちピンとこないものだったらしい。  寮生活の大学生にとって、シャトルシェフはすばらしい道具だった。何しろ、共用の台所は4〜5人に1つガスコンロがあるだけだったのだ。夕飯時になると、それぞれがガスコンロの前に立ち、手早く調理することになる。お互い、長く使うのは気が引けた。  多く

          ずっと使い続けたシャトルシェフ

          青じそわさわさ

           畑に青じそがわさわさと揺れている。もう穂がついて、実がついている。  青じそが好きだ。きゅうりに巻くのも美味しいし、そうめんの薬味にも欠かせない。父の畑にまで行けばあるが遠い。ちょっと摘んでくるには面倒だ。そこである年、苗を買ってきて植えた。  父は嫌そうな顔をした。「こんなもん、なんでわざわざ買ってくるんだ。その辺にあるのを植えればいいのに。」意味が分からなかった。  次の年の春、畑の隅にはいろいろな植物の芽が出てきた。昨年の畑で成長したありとあらゆる植物が積み重ね

          青じそわさわさ