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「魯肉飯のさえずり」

八角の悲しみ

温優柔さんの「魯肉飯のさえずり」という小説を読んだ。中国語、台湾語、日本語が飛び交う。台湾から来日し、日本人と結婚した李秀雪と、その娘の桃嘉の物語である。
日本語では自分の気持ちをうまく伝えられない秀雪。桃嘉は、そんな母に対して複雑な感情を持つ。娘の視点から書かれている章と母の視点から書かれている章が交互に続く。どちらの気持ちも分かる。悪意があるわけではないけれど、無神経な周囲の人々の言葉もつらい。ぐいぐいと引き込まれ、一気に読んだ。
話の中で、「魯肉飯」は大きな存在である。中国語の発音である「ルーローファン」ではなく台湾語「ロバブン」とルビがふってある。母の国の料理。父の好物。桃嘉が新婚の夫のために魯肉飯を作る。夫は八角の風味のきいた魯肉飯を口にし、「もっとふつうがいい。日本人はこういう味を好まない」と言う。桃嘉はショックを受け、八角を捨ててしまう。

ふつうがいい

「ふつうがいい」と私も夫に言われた。八角入りの煮豚である。
実家では煮豚に八角を入れた。祖母の好みだったと思う。母は八角を入れなかった。どちらも私にとっては我が家の味である。別に「ふつうでない」と思ったことはなかった。ショックだった。
八角はそのまま冷蔵庫の隅にあったが、そのうち消えた。
夫には何度か「ふつうがいい」と言われた。ふつうではない料理を作った覚えのない私はそのたびにがっかりしたが、だんだん夫の好みが分かってきた。夫は香辛料が苦手なのだ。ちょっと香辛料がきいていると「ふつうがいい」という言葉で否定してしまう。その結果、我が家の麻婆豆腐は、ただのひき肉入り豆腐のスープになった。カレーライスは市販のルーのみになった。

新しい家庭の味

先日、娘がうちの家庭料理についての感想を話してくれた。父の料理も母の料理もそれぞれ好きだということ、その味は、それぞれの実家の祖母たちが作る料理とは違うということ。
それぞれの実家の料理、夫の料理、私の料理。どれが「ふつう」ということもない。今の我が家の味は、濃い味付けが好きで香辛料が苦手な夫と、薄い味付けと香辛料が好きな私が歩み寄って作ってきたものだ。シンプルな味付けにしておいて、後から好みで足す。ソテーに夫はしょうゆをかける。豆腐のスープに私は豆板醤を入れる。カレーライスに息子はスパイスを足す。香辛料は苦手な夫も、天ぷらや焼き魚、そばには大根おろしを欠かさない。そうやって互いの料理と味を認めながら作ってきた我が家の味だ。
それにしても、煮豚に八角を入れていたことを忘れていた。
八角風味の魯肉飯を食べてみたい。


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