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谷川俊太郎と考える、学びのかたち

今日は待ちに待った週末の始まり。
昨日の夜から部屋をきれいに整頓して、やすむ準備はばっちり。

この頃は、いつの時間も肌に流れてくる風が心地よいからか
自然と目が覚めるのも早くなった
今日は母の足音で、起きてしまったんだけれど。

夏に3週間ほど、ロンドンに居た。
雨の町として有名な国だけれど、滞在中は幸いなことにほとんど心地よい晴れだった。
ロンドンの晴れは、日本の秋晴れにすごく似ている。
年中心地よい気候だからか、部屋に備え付けなのはヒーターだけ。
いつも鼻をツンと尖らせて冷たく感じる英国人だけど
冬の部屋でヒーターで暖を取る姿を想像したら、少し可愛らしく感じた。

そんな望まれた気候のもとで、私は毎日を一生懸命生きた
日本にいた頃の自分を、とんでもない怠け者に感じるほどに
24時間をめいっぱい、満喫した

日本に帰ってからも、時間に対する見方が変わったおかげで、なるべく無駄な時間を作らないように心がけるようになった。
そんな習慣の一つに、空いた時間に「ほぼ日の学校」の授業に出席するようにしていて、今日の授業には谷川俊太郎さんのお話を選んだ。

彼の詩には、日々を、人生を他人事のようにうつらうつら過ごしている人間の腹を、鉄の棒で突き抜くように、体に響いてくる力があると感じていた。
彼が学校に行けたはずの時期に、周りでは戦争が起きていた。
友人と一緒に、自転車で大空襲で丸焼けになった下町を見に行き、ごろごろところがる焼死体を見たのが、彼の忘れられない原体験だと、話す。

だから彼には、体系化された教育、”ちゃんとした教育”を受ける機会がなく、そのことが自身のコンプレックスだったそうだ。
それでも自分を受け入れるための手段だったかもしれないが、彼は、「教育はちゃんとしているものが全てではない」と信じている。
自分が知人の詩人から、言葉を学んだように
詩が好きな友人から、世界の教養を学んだように
学びに出会うきっかけは、視野を広がればそこらじゅうに転がっている

だから、子どもたちにはもっと感じるままに
「知りたい」に素直に、世界を裸足で駆け回ってほしい


自分を取り囲む環境が、どんなに恵まれているのか、ということに
気が付けるひとは、この国ににはもはや、あまりいないかもしれない


もし子供の力になれる時が来たら
もし私に子供ができたら
彼らの後ろから、そっと背中を押せるような自分であろうと想った。



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