たんぽぽ

大学生です。 気づきが多い気がしたので

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最近の記事

きょうは歩けません。 他人が見たら、無音の世界で 3

私は、足がわるい。 中高時代、汗を滝のように流しながら熱中した部活動は、サッカー用の底が硬いスパイクを履いてひたすら走り回るものだったので、当然、何度も怪我をした。 中でも致命傷になったのが、左足のアキレス腱炎だったということだ。 当時、やっとの思いで一番上のチームに選ばれ、数日後に控えた大会のために目がまわるほど走り回っていた私は、ちょうど大会前最後の練習でやってしまった。 頭の中、「部活か勉強」しかなかった私は、やっぱり、ちゃんと怪我を治さないまま競技を続けてしまったので

    • 優三さんが、すき 他人が見たら 無音の世界は 2

      めずらしく、朝ドラを熱心に見ている。 それこそ小学生の頃なんかは、中学受験をしていたこともあって一日中やることがびっしり詰まった無表情多忙ガールだったのだけど、そんな子が唯一幸せだったのが、朝録画した朝ドラを見ながら食べるおやつの時間だった。 それから数年経って、また朝ドラを楽しみに朝7時台に起きられる日が またくるとは 思っても見なかった。 今期の『虎に翼』、観始めたきっかけは、ヒロイン役の伊藤沙莉ちゃんのラジオを聴いていたから、それと彼女が好きだったから。 いや 本当は

      • 他人が見たら 無音の世界で 1

        毎日天気予報は見ないので、昨日がどんな天気だったか くらいしか印象に残っていないけど、なんだか梅雨が近づいてきている模様 少し前から 雨の日が増えたような気はしていて、 朝目が覚めて、起きる覚悟ができたら 頭の後ろにあるカーテンを半身捻って開けるのだけど 朝イチの曇り空ってのはやっぱり気が落ち込む。 まあでも、一度学校に着いてしまえば 人気の少ない旧女子短大のあたりの緑が 雨にぬれて喜んでいるように見えるので、ニヤニヤしている 天邪鬼。 そこのあたりは キャンパス内でも

        • 「レディーファースト」と「紳士」のちがい ヨーロッパに滞在していると、女性に対する敬意を持った「紳士な気遣い」を受けることが、日本の比にならないくらいにある。言い方を変えれば今の時風には合わない、性差別的な印象を与えてしまうけど、その動機は本来もっと尊いものだとおもう。

        きょうは歩けません。 他人が見たら、無音の世界で 3

        • 優三さんが、すき 他人が見たら 無音の世界は 2

        • 他人が見たら 無音の世界で 1

        • 「レディーファースト」と「紳士」のちがい ヨーロッパに滞在していると、女性に対する敬意を持った「紳士な気遣い」を受けることが、日本の比にならないくらいにある。言い方を変えれば今の時風には合わない、性差別的な印象を与えてしまうけど、その動機は本来もっと尊いものだとおもう。

          「おいしい生活」を皮切りに、付加価値が売れる時代になった。 SNSが普及し、文字数の中でキャッチーなフレーズをうまく作る人が増えて、ブランドのロゴが「見えやすい見栄」として通用する社会。 だからここが、「本質主義」への転換点なんじゃないかなあ。

          「おいしい生活」を皮切りに、付加価値が売れる時代になった。 SNSが普及し、文字数の中でキャッチーなフレーズをうまく作る人が増えて、ブランドのロゴが「見えやすい見栄」として通用する社会。 だからここが、「本質主義」への転換点なんじゃないかなあ。

          被爆国として致し方ない、複雑な心境

          最近、日本や世界で話題性の高い作品といえば『オッペンハイマー』、ではないだろうか。 SNSやネット上でも「日本人なら観に行くべき」等の謳い文句を、よく目にしたせいか、うっすらと義務性を感じつつ、私もみに行った。 まずは、ごく個人的な感想を垂れる。 映画が終わって、自分の体に湧き上がった最大の感情は「怒り」であった。 しかし、それは映画の監督に対してではなく、じわじわと胃を蝕むように私の中に拡がる、この作品が及ぼしかねない「潜在的な危機」に対してである。 まず、自分と同世代

          被爆国として致し方ない、複雑な心境

          「とわの庭」

          小川糸 著 「とわの庭」 とわは、うつくしい母親「あい」のもとに生まれた。 彼女たちは、「とわの庭」とよぶ豊かな庭のある一軒家に二人の世界を育んでいた。 ふたりは「とわのあい」で結ばれた、透明で黄金色の、生糸のように儚い光で結ばれていた。 とわは、目が見えない でも、目が見えないのが悲しいこと、とは思っていない 見えるからいいこともあれば、逆に見えるからこわいことだって、いっぱいあるに違いないから。 彼女は、母と暮らすちいさな世界を、「みる」以外の全ての感覚を使って感じて

          「とわの庭」

          まだ明るい、夕方5時

          チャイムがなって、5時になったことに気が付く 子供の頃、この時間にはちょうど遊びが佳境を迎える頃だった 1時間ぐらい前に食べたおやつがエネルギーになって テレビの画面で競り合う自分のキャラクターの接戦に、私たちは跳ねたり、きゃーと叫んだり、おお盛り上がり 決まって毎回そんな時に、試合終了を知らせるゴングのように、というより、「そろそろかえりなさ〜い」という聖母の囁きのように、チャイムはなってしまう。 チャイムがなれば、夫の愚痴にきゃっきゃとたのしそうなお母さんたちだって

          まだ明るい、夕方5時

          PERFECT DAYS

          彼は、「TOKYO TOILET」の青いツナギを着て、毎日都内の公衆トイレを掃除する仕事をしている。 よく居合わせる若年の生意気な同僚からすると、「仕事はめっちゃできるけど無口すぎて何考えてるかさっぱり」な老人。 掃除中にすれ違う人々は、彼を「掃除ロボット」か何かのように見て見ぬ振りをするか、卑しむ視線を送ってきさえする。 ただ彼はといえば、この世界と繋がっているようで、全く別の場所で生きている。 普通の世界の人たちと、あらゆる意味で交わることはない。 自前のトラックに

          さあ、「人生」について。

          生きることとは、生・老・病・死の苦行である。 でも、なんでこんなに険しい道をみな進んでいくのだろう? 「私は幸せになるんだ!」 「一生、幸せにします!」 「ムスメには、幸せになって欲しいんだ。。」 じゃあ、聞きます。「しあわせを、絵にかけますか?」 「仕事」が、絵に描けない、動きの総称であるように 多くの日本人が抱く「しあわせ」の幻想は、ほんとうに、実態がない迷信である。 ただ、こうは言える。 「しあわせを見つける悦びに、騙されながら、またそのうれしさを知らずに求めて歩き

          さあ、「人生」について。

          「夜明けのすべて」

          「いったい、私は周りからどう思われたいのだろうか。 明朗快活というのも違う、優しくて気がきくのはいいけどそれだけだと思われたもんなら堪らない。」 美沙。巷にいう大企業から従業員6名の粟田金属で働くようになって三年が経つ。 冒頭から怒涛のような「気遣い」を脳内で繰り広げる彼女は、重度のPMS(生理前症候群)で前の職場に戻れなくなったきっかけも、まさにこのことが理由だ。 爆発するまで収まりきらない、突発的で攻撃的な『怒り』の感情が、生理前の彼女を襲う。苛立ちの芽がぽっと顔を出す

          「夜明けのすべて」

          考えるのをやめたから

          私は、約5年前から気分変調症と生きてきた 1日の終わりに、ひとり反省会 「あの子に嫌われたかも、みんなに白い目で見られているんだろうな」他人の頭の中なんてわかるはずもないのに、被害妄想を事実だと信じて疑わなかった でもそんな5年を経てわかってきたことがある 私たちが「考えていること」は全て、幻想であるということ。 全ては不確実で、刻々と形を変える 「1秒前は死んだ」のだ ただ一つ決まっているのは、いつか必ず終わること それ以外は、私が自由に決めていいのだ 結局終わる時、

          考えるのをやめたから

          「湯を沸かすほどの熱い愛」

          みなさま、明けましておめでとうございます。 年明けにも関わらず、寒く、苦しい思いをされている皆様に1日も早い温もりと笑顔が戻ることを、心からお祈りしております。 今日は「湯を沸かすほどの熱い愛」という作品をご紹介します。 バツイチの銭湯屋の倅に嫁いだ美しい女性、双葉。 一人娘の安澄は大人になりかけの少女な季節。あどけなさがまだしっかりと残った、あの年代ならではの澄んだ美しさを放つ内気な女の子だ。 生活はというと、「湯気の如く蒸発した」店主のせいで、家業である銭湯は長らく

          「湯を沸かすほどの熱い愛」

          Love Rosie

          今日は、映画「Love Rosie」(あと1センチの恋)をご紹介します。 ロージーとグレッグは、生まれた時からずっと一緒な幼馴染。互いの家に入り浸っては、一つのイヤホンで好きな音楽を聴き合い、些細なことで殴り合いの喧嘩だってする。親よりも、自分よりもお互いを知っていると、胸を張って言えるほどには近しい存在だった。 そんな彼らの関係が崩れだすのは、そう、「プロムに誰を誘うか」という時期だった。ロージーは女の子、グレッグは男の子。でも子供だった彼らにとって、「男女」であること

          『おいしいごはんが食べられますように』

          高瀬隼子によるこの小説は、芥川賞を受賞した著名な作品である。 私も、祈るような題名と白と黄色で描かれたよくわからない表紙に惹かれ、手に取った。 『おいしいごはんが食べられますように』というのだから、もちろん色がテーマ心温まる物語なのだろうと、油断でだらりと弛んだ心持ちのまま読み始めてしまった。 そう、一見やさしそうな外装の悪魔に、まんまと騙されたのだ。 二谷は普通のサラリーマン、ごく”普通”の職場で働いている。 職場には昭和的なリーダーシップを悪気なく振りかざし、少なくとも

          『おいしいごはんが食べられますように』

          いっそ、遺伝子レベルかもしれない

          ここ数日、やっと、やっと今回の鬱期を抜け始めた感覚がある。 今回は長く、鈍く、苦しい2週間だった。 私には1ヶ月に少なくとも一度、鬱の底まで気持ちが落ちる時がある。 今年の夏頃、自分の中ではどうにもならなくなり受診した精神科医によると、私の”心情”は「気分失調症」と呼ばれているらしい。 症状は本当に人それぞれだが、私の場合は、常に「2メートルほど離れたところからちょうどダーツを投げるように放られた出刃包丁が、ざっくりと左胸に刺さっている感覚」にある。私が今日まで出会った人々

          いっそ、遺伝子レベルかもしれない